ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

タラナキ行:燃える町ハウェラ

2014-03-08 | 旅行
サウスタラナキのパテアを出てからずっと右手前方に見えていた塔

とうとう(って洒落じゃない
根元?まで来ました。


ここはハウェラ(人口1.1万人)というサウスタラナキの中心地。

ここも19~20世紀初頭の建物で町並みができていました。


ブルーの建物は1882年築。

1881年にマートン=ニュープリマス鉄道が開通したときのもの
隣のパテア同様に鉄道で町の反映に弾みがついたのでしょう。


左の建物は図書館

こんな光景、まるで時間が止まっているようです。
幌馬車が通りかかっても驚かない?
(※いや、驚きますけど)


ANZ銀行

建物にはかつてのナショナル銀行の名前が
(2003年に買収され、2012年から行名をANZで統一)


時代の趨勢を反映して、1977年にはニュープリマス=ウェリントン間の
旅客輸送が廃止され、今のマートン=ニュープリマス鉄道は貨物のみ。

かつては賑わったであろうホテル
今はバッパーかな?


ここも相当古そうなレストラン

かつては公共施設だったのでは?


マオリ企業

有力マオリはイウィ(部族)で事業を企業化していることが多いです。



さて、この塔は

ハウェラ給水塔
でした。
高さ55m、1912年着工1914年完工
今年でちょうど築100年


215段の階段があり、登ることもできたのですが、
開館時間が10:00-14:00だったので、間に合わず
(※なにせ計画性ゼロの行き当たりばったりな旅なので)


「登頂は約10分、自己責任でお登り下さい」

だそうです
まぁ、ぶっちゃけ、人生すべて自己責任ですよね。



なぜこんなに立派な給水塔が1世紀も前からあったかというと、
この町はその成り立ちから火と深く関連していたからだそうです。


ウィキによると、ここはかつてマオリ語でテ・ハウェラと呼ばれ
燃えた場所
という意味だそうです。


この地で覇権争いを続けていた2つの部族が真夜中に焼き討ちし合い、
「生存者がいないよう
徹底的に焼き払ったことに由来しているそうです


その後、ヨーロッパからの入植者がやってきて、名前がハウェラに。
(※マオリ語の「テ」は英語のtheなので、取っちゃったようです)


しかし、火災による被害は続きます。
1884年 ホテル火災
1888年 大火で5つの事業が消失
1912年 大火でメインストリートの大半が焼失


1912年の大火を機に、保険会社が町の防災機能の改善を求め、
同年に給水塔の建設が始まり、1914年に完成したというわけです


保険会社の権限の強さに今のクライストチャーチを見るようですが、
行政任せにしていると出費を伴うものはなあなあになってしまうのか?
官民が力を合わせてこその発展なんでしょうかね。


1932年に塔の冠部分に赤いネオンライトが取り付けられ、
今でも夜になると灯りがともるそうです。
2002-2004年には110万ドル(約1億円)をかけて改修されました。

末永くこの町を火災の被害から守るべく、見下ろしていそうですね。


かつての繁栄がしのばれる大きな教会

建てられたときの人口に見合ったものだったのでしょう。



ここもワンガヌイ同様に古い建物がいまでも現役で使われており

耐震建築の規制次第では
町ごと消滅する
という現実に直面しているはずです。
(この話はコチラで)


全国統一基準は人口や経済規模が限定されている小規模自治体には
実は不平等


建物の利用者数や規模・階数(3階以上とか)など例外を作らないと、
本当に大変なことになってしまいそうです


NZから歴史的建物がなくなりというノスタルジックな感傷どころか、
今の経済規模で十分な地方都市では、これだけ小規模な商業施設を
耐震構造化することも建て替える資金力もなく、取り壊しとなったら、
町そのものが立ち行かなくなってしまいます。


報道でもたびたび国に現実的な対応を求める声が挙がっていますが、
本当にそう思います。


クライストチャーチでも大被害が集中したのは近代的なビルが大半。
まったくもって皮肉な話です。

新築だったクライストチャーチ税務署ビル


地震があったときには引越しが始まっていたところでほぼ入居前。
最新の建築技術で造られたはずなのに、それでも取り壊しに
地盤の問題ではなさそうで、建築技術の問題ではないでしょうか?


建物が大きい分、経済的被害も大きいのはわかりますが、
2階建ての木造やレンガ造りの1世紀も前の建物と同時に語るには

あまりにも無理があるような・・・



ここからは内陸に入り、さらに旅はつづきます。


(つづく)