今日は香川県高松市屋島東町にある屋島寺を紹介します。
南面山(なんめんざん)屋島寺は屋島山頂にあり、源平合戦にもゆかりが深い四国八十八箇所霊場の84番目の札所になっています。
屋島は標高282mの溶岩台地で頂上部が平坦でその形が屋根に似ていることと、元は島で あったところから屋島と名づけられたといいます。
寿永4年(1185)都を追われた平家と、源義経率いる源氏が戦った屋島の古戦場としても知られています。那須与一が平氏の軍船に掲げられた扇の的を見事に射落としました。
源頼朝は弟範頼に3万騎を進軍させました。しかし兵糧不足と平家の水軍に悩まされます。義経は奇襲で平家の本拠地であった屋島を攻略します。平家の総大将の平宗盛は安徳天皇とともに海から逃亡したのでした。
屋島寺は屋島山頂に建てられています。天平勝宝6年(754)に唐から来日した鑑真が屋島の山上に瑞光が見えたので 屋島の北嶺に登り開基したそうです。のちに弟子の恵雲師が堂宇を建て初代の住職となったそうです。
弘仁6年(815)この地を訪れた弘法大師は、瑳峨天皇の勅願により北嶺にあった伽藍を南嶺に移しました。十一面観音菩薩像を刻んで本尊と したそうです。
元和4年(1618年)建立された本堂は入母屋造で本瓦葺きです。鎌倉時代の前身堂の部材を用いていて国の重要文化財に指定されています。
貞応2年(1223)の銘がある梵鐘は鎌倉時代に作られ、これも国の重要文化財に指定されています。別名「平家供養の鐘」とも呼ばれています。
南面山(なんめんざん)屋島寺は屋島山頂にあり、源平合戦にもゆかりが深い四国八十八箇所霊場の84番目の札所になっています。
屋島は標高282mの溶岩台地で頂上部が平坦でその形が屋根に似ていることと、元は島で あったところから屋島と名づけられたといいます。
寿永4年(1185)都を追われた平家と、源義経率いる源氏が戦った屋島の古戦場としても知られています。那須与一が平氏の軍船に掲げられた扇の的を見事に射落としました。
源頼朝は弟範頼に3万騎を進軍させました。しかし兵糧不足と平家の水軍に悩まされます。義経は奇襲で平家の本拠地であった屋島を攻略します。平家の総大将の平宗盛は安徳天皇とともに海から逃亡したのでした。
屋島寺は屋島山頂に建てられています。天平勝宝6年(754)に唐から来日した鑑真が屋島の山上に瑞光が見えたので 屋島の北嶺に登り開基したそうです。のちに弟子の恵雲師が堂宇を建て初代の住職となったそうです。
弘仁6年(815)この地を訪れた弘法大師は、瑳峨天皇の勅願により北嶺にあった伽藍を南嶺に移しました。十一面観音菩薩像を刻んで本尊と したそうです。
元和4年(1618年)建立された本堂は入母屋造で本瓦葺きです。鎌倉時代の前身堂の部材を用いていて国の重要文化財に指定されています。
貞応2年(1223)の銘がある梵鐘は鎌倉時代に作られ、これも国の重要文化財に指定されています。別名「平家供養の鐘」とも呼ばれています。
