旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

高松城

2009年05月12日 | 旅 歴史
 高松城は大分県中津市の中津城、愛媛県今治市の今治城とともに日本三大水城に数え上げられています。別名玉藻城とも呼ばれ、この一帯は玉藻公園になっています。
玉藻(たまも)の由来は万葉集で柿本人麿が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠みました。そしてこのあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことでつけられたようです。
 天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐17万6千石を与えられ、国主として入府した生駒親正が、天正16年(1588)から現在地に築城を着手した平城です。縄張りは、当時築城の名手であった黒田孝高(如水)だったそうです。数年後、瀬戸内の海水を外堀・中堀・内堀に引き込んだ水城として完成し、高松城と名付けられたのでした。
 生駒氏時代の天守閣は、天守台に三層四階の天守閣でした。生駒氏の後に城主となった高松松平藩初代藩主松平頼重が、寛文九年(1669)に三層五階の天守に改築したそうです。この天守は、南蛮造りと呼ばれる珍しい天守だったそうです。明治17年(1884)に腐朽がひどくなったため取り壊されてしまいました。
生駒家は四代目高俊の時に生駒騒動があり4代54年で改易になってしまいました。寛永19年(1642)松平頼重が常陸下館5万石から入封したそうです。この松平頼重は水戸光圀の実の兄になる人だそうです。頼重以降、松平氏が11代228年間居城し明治を迎えました。高松城の城郭の形式は輪郭式平城といわれるものです。本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、三重に堀が廻らされていたそうです。
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