今日は徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻にある霊山寺を紹介します。
竺和山(じくわさん)霊山寺は高野山真言宗の寺院です。「一番さん」と親しまれる四国八十八箇所霊場の第1番札所になっています。
弘仁6年(815)に弘法大師がここを訪れ21日間逗留して修行したといわれています。
天竺(インド)の霊鷲山で釈迦は仏法を説いていました。天竺の霊山である霊鷲山を日本に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け第一番札所としたといわれています。
本尊の釈迦如来は弘法大師が刻んだそうです。左手に玉を持った坐像です。
仁王門を入ると、左に鐘楼、多宝塔、正面に本堂、右に紀州接待所、大師堂、本坊があります。
室町時代には三好氏の庇護を受け、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つでした。
天正年間(1673年 - 1693年)に長曽我部元親の兵に焼かれましたが、徳島藩主蜂須賀光隆によって再興されました。その後明治24年(1891)の出火でまた多くの建物を失っってしまいました。本堂と多宝塔以外は近年の再建です。
竺和山(じくわさん)霊山寺は高野山真言宗の寺院です。「一番さん」と親しまれる四国八十八箇所霊場の第1番札所になっています。
弘仁6年(815)に弘法大師がここを訪れ21日間逗留して修行したといわれています。
天竺(インド)の霊鷲山で釈迦は仏法を説いていました。天竺の霊山である霊鷲山を日本に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け第一番札所としたといわれています。
本尊の釈迦如来は弘法大師が刻んだそうです。左手に玉を持った坐像です。
仁王門を入ると、左に鐘楼、多宝塔、正面に本堂、右に紀州接待所、大師堂、本坊があります。
室町時代には三好氏の庇護を受け、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つでした。
天正年間(1673年 - 1693年)に長曽我部元親の兵に焼かれましたが、徳島藩主蜂須賀光隆によって再興されました。その後明治24年(1891)の出火でまた多くの建物を失っってしまいました。本堂と多宝塔以外は近年の再建です。
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