今日は徳島県鳴門市大麻町にある極楽寺を紹介します。
日照院極楽寺は高野山真言宗のお寺です。四国八十八箇所霊場の第2番目の札所になっています。日照院のいわれは、本尊の発する光が鳴門の海まで達し、漁業や航海の妨げになったため小山を築いて光を遮ったことから名付けられたそうです。
行基が開創し、弘法大師が37日間、無量寿の秘法を厳修された時、その結願の日に現れた阿弥陀如来を見ました。それを霊木に刻んで本尊としたそうです。国の重要文化財に指定されています。
室町末期には三好氏の保護を受け栄えました。天正10年(1582)長曽我部元親の兵火によって焼失しました。万治2年(1659)藩主蜂須賀家によって現存する本堂が再建されました。
安産子安大師が祀られています。明治の頃、大阪の病弱な婦人が四国遍路して大師のおかげで安産し、それ以来安産のご利益があるお寺として有名です。
弘法大師がこの地で修法を修めた際、この寺を末永く守護せよとの祈りを込めて大師自らが手植えしたと伝えられています。樹齢約1100年といわれる長命杉です。幹に触れれば長生きできるといわれ、その触れた手で自分の悪い所をさすれば直るといわれています
日照院極楽寺は高野山真言宗のお寺です。四国八十八箇所霊場の第2番目の札所になっています。日照院のいわれは、本尊の発する光が鳴門の海まで達し、漁業や航海の妨げになったため小山を築いて光を遮ったことから名付けられたそうです。
行基が開創し、弘法大師が37日間、無量寿の秘法を厳修された時、その結願の日に現れた阿弥陀如来を見ました。それを霊木に刻んで本尊としたそうです。国の重要文化財に指定されています。
室町末期には三好氏の保護を受け栄えました。天正10年(1582)長曽我部元親の兵火によって焼失しました。万治2年(1659)藩主蜂須賀家によって現存する本堂が再建されました。
安産子安大師が祀られています。明治の頃、大阪の病弱な婦人が四国遍路して大師のおかげで安産し、それ以来安産のご利益があるお寺として有名です。
弘法大師がこの地で修法を修めた際、この寺を末永く守護せよとの祈りを込めて大師自らが手植えしたと伝えられています。樹齢約1100年といわれる長命杉です。幹に触れれば長生きできるといわれ、その触れた手で自分の悪い所をさすれば直るといわれています
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