今日は愛媛県松山市道後湯月町にある宝厳寺をとりあげてみます。
豊国山遍照院宝厳寺は時宗の寺院で、時宗開祖一遍上人の生誕地です。
寺伝では665年、河野守興が誓願院として創建しました。
開創当時は松ヶ枝町一帯に12の支院があったそうです。
平安時代中期 天台宗寺院となりましたが、正応5年(1292) 再興され、時宗に改宗したそうです。
建武元年(1334年) 得能通綱が一遍上人御誕生旧跡碑を松ヶ枝町の入り口に建立したそうです。
室町時代に造られた木造一遍上人立像は国の重要文化財に指定されています。
山門から境内にかけての参道両側は歓楽街・ネオン坂。漱石が『坊っちゃん』に
「山門のなかに遊郭があるなんて前代未聞」と描いたように、かつての花街の雰囲気が今も残っている。
境内には、子規が詠んだ「色街や 十歩はなれて 秋の風」の碑などが立っています。
承久の乱で陸奥に流された河野通信の孫として生まれた一遍上人は、幼くして仏門に入って修行を重ね、正応2年(1289)に亡くなるまでの間、全国各地で衆生済度の旅を続け、遊行上人と崇められました。当寺は、法相宗のお寺として創建され、その後は天台宗へと転じ、そして正応5年(1292)に仙阿が時宗へと改めたそうです。
豊国山遍照院宝厳寺は時宗の寺院で、時宗開祖一遍上人の生誕地です。
寺伝では665年、河野守興が誓願院として創建しました。
開創当時は松ヶ枝町一帯に12の支院があったそうです。
平安時代中期 天台宗寺院となりましたが、正応5年(1292) 再興され、時宗に改宗したそうです。
建武元年(1334年) 得能通綱が一遍上人御誕生旧跡碑を松ヶ枝町の入り口に建立したそうです。
室町時代に造られた木造一遍上人立像は国の重要文化財に指定されています。
山門から境内にかけての参道両側は歓楽街・ネオン坂。漱石が『坊っちゃん』に
「山門のなかに遊郭があるなんて前代未聞」と描いたように、かつての花街の雰囲気が今も残っている。
境内には、子規が詠んだ「色街や 十歩はなれて 秋の風」の碑などが立っています。
承久の乱で陸奥に流された河野通信の孫として生まれた一遍上人は、幼くして仏門に入って修行を重ね、正応2年(1289)に亡くなるまでの間、全国各地で衆生済度の旅を続け、遊行上人と崇められました。当寺は、法相宗のお寺として創建され、その後は天台宗へと転じ、そして正応5年(1292)に仙阿が時宗へと改めたそうです。
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