龍應山西明寺は天台宗のお寺です。金剛輪寺、百済寺とともに湖東三山の1つに数えられ、西国薬師四十九霊場第39番札所にもなっています。承和元年(834)、仁明天皇の勅願の命により、三修上人により開かれました。上人は修験道の霊山として有名な伊吹山開山と伝えられる伝説の行者です。
三修上人は、琵琶湖の西岸にいた時に、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て、神通力で水面を飛び越え対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていたそうです。その池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺の始まりだそうです。
西明寺は平安、鎌倉、室町の各時代を通じて天台宗の祈願道場・修業道場として栄え、境内には17の諸堂と300以上の僧坊が建てられました。織田信長が焼討ちをかけた時は、境内は炎に包まれました。しかし本堂付近の建物を見せかけで燃やし、境内全域が炎上したかのように見せ、本堂、三重塔、二天門を守りました。
当時の西明寺は広い寺域に土塁や堀切を持ち、僧侶だけでなく職人や商人が集まった宗教都市でした。信長の焼打ちは、宗教的権威、人々を支配する世俗的権威を打破する狙いもあったようです。江戸時代に入ると、西明寺は徳川家の庇護を受け、天海大僧正、公海大僧正の尽力で復興を遂げ、現在に至っています。
本堂、三重塔は国宝に指定され、二天門、石造宝塔は国の重要文化財に指定されています。西明寺本坊の庭園は蓬莱庭と呼ばれ、国の名勝に指定されています。本尊の木造薬師如来立像、木造二天王立像、木造釈迦如来立像、木造不動明王及び二童子像、絹本著色十二天像、三重塔初層荘厳画4本8面、錦幡5旒(りゅう)も国の重要文化財に指定されています。
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三修上人は、琵琶湖の西岸にいた時に、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て、神通力で水面を飛び越え対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていたそうです。その池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺の始まりだそうです。
西明寺は平安、鎌倉、室町の各時代を通じて天台宗の祈願道場・修業道場として栄え、境内には17の諸堂と300以上の僧坊が建てられました。織田信長が焼討ちをかけた時は、境内は炎に包まれました。しかし本堂付近の建物を見せかけで燃やし、境内全域が炎上したかのように見せ、本堂、三重塔、二天門を守りました。
当時の西明寺は広い寺域に土塁や堀切を持ち、僧侶だけでなく職人や商人が集まった宗教都市でした。信長の焼打ちは、宗教的権威、人々を支配する世俗的権威を打破する狙いもあったようです。江戸時代に入ると、西明寺は徳川家の庇護を受け、天海大僧正、公海大僧正の尽力で復興を遂げ、現在に至っています。
本堂、三重塔は国宝に指定され、二天門、石造宝塔は国の重要文化財に指定されています。西明寺本坊の庭園は蓬莱庭と呼ばれ、国の名勝に指定されています。本尊の木造薬師如来立像、木造二天王立像、木造釈迦如来立像、木造不動明王及び二童子像、絹本著色十二天像、三重塔初層荘厳画4本8面、錦幡5旒(りゅう)も国の重要文化財に指定されています。
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