滋賀県彦根市古沢町に清涼寺があります。
祥寿山清涼寺は彦根市の北東、佐和山の麓にある曹洞宗のお寺です。嘉永年間(1624-1633)に彦根藩2代藩主井伊直孝が父である井伊直政の墓所として、旧領であった上野国の叢林寺から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
以来、歴代彦根藩主井伊家の菩提寺となり、崇敬庇護され繁栄しました。裏山の高台には旧藩主の宝篋印塔が6基並んでいます。諸国から高僧が招かれ住職を務め、厳しい修業道場として有名だったそうです。最盛期には200人の衆徒が蒔水の修行をしていたと伝えられています。
佐和山城は関が原の合戦で敗れた石田三成の居城でした。境内は、三成の重臣・嶋左近の屋敷があったところです。本堂左のタブの木は嶋左近手植えのものと伝えられています。清涼寺の七不思議といわれる伝説があり、それらすべてが佐和山落城に関連するものばかりだそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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祥寿山清涼寺は彦根市の北東、佐和山の麓にある曹洞宗のお寺です。嘉永年間(1624-1633)に彦根藩2代藩主井伊直孝が父である井伊直政の墓所として、旧領であった上野国の叢林寺から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
以来、歴代彦根藩主井伊家の菩提寺となり、崇敬庇護され繁栄しました。裏山の高台には旧藩主の宝篋印塔が6基並んでいます。諸国から高僧が招かれ住職を務め、厳しい修業道場として有名だったそうです。最盛期には200人の衆徒が蒔水の修行をしていたと伝えられています。
佐和山城は関が原の合戦で敗れた石田三成の居城でした。境内は、三成の重臣・嶋左近の屋敷があったところです。本堂左のタブの木は嶋左近手植えのものと伝えられています。清涼寺の七不思議といわれる伝説があり、それらすべてが佐和山落城に関連するものばかりだそうです。
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