
大阪府河内長野市寺元に観心寺があります。
観心寺は高野山真言宗のお寺です。文武天皇の大宝元年(701)、役小角によって開かれ、雲心寺と称しました。弘仁年間(810-824)に弘法大師が再興し観心寺と改めたそうです。天長4年(827)、大師は実恵(道興大師)に譲り、実恵は堂宇を再建し繁栄させました。
後醍醐天皇は建武新政後、楠木正成を奉行として金堂を再建させました。塔頭中院は楠木家菩提寺で、延元元年(1336)、湊川の合戦で討死した正成の首級は中院に葬られたといわれています。
正平14年(1359)、後村上天皇は金剛寺から移り、塔頭の総持院を行宮(あんぐう)にし行在所となりました。翌年正月、禁裏の本尊・愛染明王を金堂に安置して永代の勅願寺としました。正平23年(1368)、天皇は住吉行宮で崩御され、この地に葬られました。
室町時代、河内守護となった畠山氏に崇敬されましたが、天正年間(1573-1592)に織田信長は観心寺7郷を1郷に減じました。豊臣秀吉は寺領25石を安堵し、秀頼は片桐且元を奉行として金堂を修築しています。
江戸時代中期、明治初期、昭和初期に修理され、昭和59年(1984)にも昭和大修理が行われています。最盛期には50以上あった塔頭は現在は2坊ですが、大自然の中に山岳寺院の趣きを伝え、境内は国の史跡に指定されています。また、境内には後村上天皇檜尾陵もあります。
国宝の金堂を始めとして、建掛塔、訶梨帝母天堂、本坊書院、恩賜講堂が国重文です。本尊の如意輪観音、脇侍の不動明王、愛染明王なども国重文です。観心寺勘録縁起資材帳は国宝で、国重文の多くの仏像や文書を所蔵しています。
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