兵庫県姫路市書写に円教寺があります。
書写山円教寺(圓教寺)(えんぎょうじ)は天台宗の別格本山で、「西の比叡山」とよばれ、西国33所中最大規模の古刹です。姫路城西北6kmの、海抜371mの書写山山上に位置しています。康保3年(966)、国司藤原季孝の援助により性空上人が草庵を設けたのが始まりと伝えられています。
性空上人は京都の下級貴族であった橘善根の子供です。36歳で出家して九州の霧島山や背振山などの霊山で修行を積み書写山にたどり着き、円教寺を建てたそうです。
性空上人に深く帰依した花山天皇は、寛和2年(986)、長保4年(1002)の2度に渡って円教寺を訪れています。花山天皇は「円教寺」の寺号を与えるとともに、西国33所霊場を再興し円教寺もその27番札所としたことから広く知られるようになりました。
承安4年(11174)には後白河法皇が来山して17日間参籠しました。鎌倉初期の貞水から寛元年間(1232-1247)には食堂、五重塔、経蔵など多くの堂宇が造立されましたが、元徳3年(1331)雷火で講堂、食堂、常行堂など焼失しました。
元弘3年(1336)には諸堂はすべて再建され、同年には隠岐島を脱出して逃げてきた後醍醐天皇を隠しています。室町時代に入ると初代将軍足利尊氏が寺領を寄進するなど足利将軍家から庇護され、比叡山延暦と大山寺とともに天台宗三大道場となり繁栄しました。
戦国時代に羽柴秀吉が領主になると冷遇され、寺領が没収されたうえ仏像や寺宝なども持ち去られ衰退しました。江戸時代に入ると姫路藩主が菩提寺として庇護し、朱印地833石を与えられ、諸堂は修復、再建されました。本多家、松平家、榊原家の霊廟も造られました。
境内は書写山一帯を占めて面積34万3千平方mで、全域が国の指定史跡になっています。大講堂、常行堂、食堂、護法堂、護法堂拝殿、鐘楼、金剛堂、開山堂、寿量院棟門、十妙院客殿庫裏唐門などが国の重要文化財に指定され、摩尼殿が国の登録有形文化財に登録されています。
円教寺にはロープウエイか徒歩でしか行けません。境内は、仁王門から十妙院にかけての東谷、摩尼殿を中心とした中谷、三之堂、奥之院のある西谷に区分されます。伽藍がある書写山山上一帯は兵庫県指定書写山鳥獣保護区の特別保護地区に指定されています。
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