一階の台所の換気扇の掃除にトライする。換気扇の油汚れは曲者であるが、換気口の2つのフィルターを取り外して、「洗剤革命」という凄い名前の粉を振りかけ、熱湯を注ぎ、そのまま2時間ほど放置しておくと、油汚れはすっかり落ちていた。ただし、効き目が強いために、塗装まで剥げてしまった(それは事前にわかっていた)。塗装の残りカスを歯ブラシで削り取る作業にかなりの時間がかかった。
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白いフィルターはもともとは本体と同じ色だった
文教大学の本田先生からグレン・エルダーほか編『発達科学-「発達」への学際的アプローチ』(本田時雄ほか訳、ブレーン出版)を送っていただいた。文化構想学部の現代人間論系の「人間発達プログラム」の格好のテキストになると思う。お礼のハガキを書いて、投函しがてら散歩に出る。東急プラザの「市美多壽」でホットケーキと珈琲を注文し、持参した『オーウェル評論集』(岩波文庫)を読んだ。
「わたしは、おそらく五つか六つのごく幼いときから、大人になったら物書きになるのだと思っていた。十七くらいの頃から二十四になるまでのあいだはこの考えを捨てようと努めたものの、やはり、ほんとうの自分を裏切っている、いずれは本を書くようになるだろうという意識は抜けなかった。
わたしは三人きょうだいのまんなかだったけれども、姉も妹も五つはなれていたし、八つになるまでは父の顔もめったに見なかった。このほかにもまだいろいろ理由があってわたしにはどこか淋しいところがあったし、そのうちにいろいろ厭な性癖が身についてしまったために、小中学校時代はいつも友だちに人気がなかった。孤独な子供らしく、わたしは自分でいろいろなお話を作ってはその中の人物と話をした。わたしの文学的野心には、そもそもの始めから、他人に疎外され馬鹿にされているという気持がまじっていたようだ。自分には言葉の才能があり、厭なことでも直視できる能力があることはわかっていて、だからこそ現実の生活での失敗に尻をまくれる、ひとりだけの世界をつくりだせるのだという気がした。」(「なぜ書くか」)
この「なぜ書くか」(Why I Write)というタイトルの文章を読んで、ポール・オースターにも同じタイトル(ただし原題は、Why Write?)の文章があったことを思い出した(『トゥルー・ストーリーズ』所収)。彼は8歳のとき、大ファンだったニューヨーク・ジャイアンツのスター選手ウィリー・メイズにサインを求めて、「ああ、いいよ。坊や、鉛筆は持っているか?」と言われた。ところが、生憎、彼も父親も鉛筆をもっていなかった。メイズは肩をすくめて、「悪いな、坊や」と言い残して去っていった。
「その夜以来、私はどこへ行くにも鉛筆を持ち歩くようになった。家を出るときに、ポケットに鉛筆が入っているのを確かめるのが習慣になった。べつに鉛筆で何かしようという目的があったわけではない。私はただ、備えを怠りたくなかったのだ。一度鉛筆なしで不意打ちを食ったからには、二度と同じ目に遭遇したくなかったのである。
ほかに何も学ばなかったとしても、長い年月のなかで私もこれだけは学んだ。すなわち、ポケットに鉛筆があるなら、いつの日かそれを使いたい気持に駆られる可能性は大いにある。自分の子供たちに好んで語るとおり、そうやって私は作家になったのである」(「なぜ書くか」)
語り口はさまざまだ。オーウェルの直球もいいが、オースターの変化球もいい。そんなことを考えていたら、注文したホットケーキと珈琲が運ばれてきた。サンドイッチは本を読みながら食べるものだが、ホットケーキはそうではない。両手にフォークトナイフを握って、迅速に(冷めないうちに)、黙々と食べるものである。
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西口駅前では路上ライブをやっていた
深夜、小田和正のライブ「クリスマスの約束2006」を観た。たくさんのゲストが登場したが、なかでも斉藤哲夫と小田がデュエットした「悩み多き者よ」は素晴らしかった。さっそくAmazonで斉藤哲夫のアルバムを3枚注文した。
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白いフィルターはもともとは本体と同じ色だった
文教大学の本田先生からグレン・エルダーほか編『発達科学-「発達」への学際的アプローチ』(本田時雄ほか訳、ブレーン出版)を送っていただいた。文化構想学部の現代人間論系の「人間発達プログラム」の格好のテキストになると思う。お礼のハガキを書いて、投函しがてら散歩に出る。東急プラザの「市美多壽」でホットケーキと珈琲を注文し、持参した『オーウェル評論集』(岩波文庫)を読んだ。
「わたしは、おそらく五つか六つのごく幼いときから、大人になったら物書きになるのだと思っていた。十七くらいの頃から二十四になるまでのあいだはこの考えを捨てようと努めたものの、やはり、ほんとうの自分を裏切っている、いずれは本を書くようになるだろうという意識は抜けなかった。
わたしは三人きょうだいのまんなかだったけれども、姉も妹も五つはなれていたし、八つになるまでは父の顔もめったに見なかった。このほかにもまだいろいろ理由があってわたしにはどこか淋しいところがあったし、そのうちにいろいろ厭な性癖が身についてしまったために、小中学校時代はいつも友だちに人気がなかった。孤独な子供らしく、わたしは自分でいろいろなお話を作ってはその中の人物と話をした。わたしの文学的野心には、そもそもの始めから、他人に疎外され馬鹿にされているという気持がまじっていたようだ。自分には言葉の才能があり、厭なことでも直視できる能力があることはわかっていて、だからこそ現実の生活での失敗に尻をまくれる、ひとりだけの世界をつくりだせるのだという気がした。」(「なぜ書くか」)
この「なぜ書くか」(Why I Write)というタイトルの文章を読んで、ポール・オースターにも同じタイトル(ただし原題は、Why Write?)の文章があったことを思い出した(『トゥルー・ストーリーズ』所収)。彼は8歳のとき、大ファンだったニューヨーク・ジャイアンツのスター選手ウィリー・メイズにサインを求めて、「ああ、いいよ。坊や、鉛筆は持っているか?」と言われた。ところが、生憎、彼も父親も鉛筆をもっていなかった。メイズは肩をすくめて、「悪いな、坊や」と言い残して去っていった。
「その夜以来、私はどこへ行くにも鉛筆を持ち歩くようになった。家を出るときに、ポケットに鉛筆が入っているのを確かめるのが習慣になった。べつに鉛筆で何かしようという目的があったわけではない。私はただ、備えを怠りたくなかったのだ。一度鉛筆なしで不意打ちを食ったからには、二度と同じ目に遭遇したくなかったのである。
ほかに何も学ばなかったとしても、長い年月のなかで私もこれだけは学んだ。すなわち、ポケットに鉛筆があるなら、いつの日かそれを使いたい気持に駆られる可能性は大いにある。自分の子供たちに好んで語るとおり、そうやって私は作家になったのである」(「なぜ書くか」)
語り口はさまざまだ。オーウェルの直球もいいが、オースターの変化球もいい。そんなことを考えていたら、注文したホットケーキと珈琲が運ばれてきた。サンドイッチは本を読みながら食べるものだが、ホットケーキはそうではない。両手にフォークトナイフを握って、迅速に(冷めないうちに)、黙々と食べるものである。
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西口駅前では路上ライブをやっていた
深夜、小田和正のライブ「クリスマスの約束2006」を観た。たくさんのゲストが登場したが、なかでも斉藤哲夫と小田がデュエットした「悩み多き者よ」は素晴らしかった。さっそくAmazonで斉藤哲夫のアルバムを3枚注文した。