フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月5日(木) 曇り

2009-02-06 00:30:48 | Weblog
  7時半、起床。ポトフとトーストの朝食。フィールドノートを更新し、今日、これから収録するオンデマンド授業の講義ノートの最終チェックをして、10時前に家を出る。11時ちょうどにスタジオ入り。今回の収録は現代人間論系基礎講義1(論系紹介)を、専任教員の入れ替わり(肩書きの変更を含む)に合わせて、撮り直すというもので、講義の内容自体に大きな変更はない。簡単な打ち合わせをしてすぐに本番。予定していた時間(30分程度)を6分ほどオーバーしたが、許容範囲であろう。途中、ホワイトボードに「排除」という言葉を書こうとして、「排」という字を度忘れてしまった。こういう場合(教室ではよくある)、対処の仕方は3通りあって、「はい除」と書くか、類語(たとえば「締め出し」)で代替するか、「exclusion」と英語で書くかである。私は、第一の方法をとることに決め(一瞬の判断)、「『排』っていう字を忘れちゃいました・・・」と言い訳をしながら、「はい除」と書こうとして、寸前に思い出し、「排除」と書いた。やれやれ。ミスらしいミスはここだけである。もちろん撮り直しはしない(むしろライブ感があっていい)。収録を終え、「西北の風」で昼食(ナポリタンと珈琲)をとる。
  今日は戸山キャンパスでは大学院の博士課程の入学試験(一次)が行われていて、3時から専門科目の採点。今年の社会学コースの受験者は1名なので、短時間で終る。「あゆみブックス」で内田樹『ためらいの倫理学』(角川書店)を購入し、「シャノアール」で読む。人気の評論家のデビュー作(2001年)の文庫版(2003年)である。文庫化に際して付けられた「まえがき」の中で内田は自分が売れっ子になった理由について、「メディアの一部に、『専門家』ではなく、『素人』でもなく、その中間くらいの言葉づかいで評論的な文を作る人間に対する需要が存在したからだろう」と書いている。そうかな、と私は思う。内田の文章は総じて読みやすいが、それは彼の文章がセミプロ的(「専門家」と「素人」の中間)だからではなく、論理が明快でレトリックが巧みだからである。重要な点は、内田の評論の対象となるのが、思想の上下左右を問わず、声高に持論を唱える人たちであるということである。そういう人たちに「ちょっと、いいですか」という感じで異議を唱える(違和感の言語化)のが内田樹という人である。それは電車の中で傍若無人な振る舞いをしている者の肩を叩いて「ちょっと、いいですか」というのと同じくらい度胸のいることである。おじさん(大人の男)の役割というものは本来そういうものだったと思う。
  地下鉄からJRへの乗り換えの途中で、「丸善」丸の内店に立ち寄り、以下の本を購入。2月、3月中にゼミのための参考図書を広く収集しておこうと思う。

  クレイグ・ワートマン『物語力』(イースト・ブレスト)
  川上徹也『仕事はストーリーで動かそう』(クロスメディア・パブリッシング)
  ジョン・シーリー・ブラウン他『ストーリーテリングで経営を変える』(同文館出版)