8時、起床。気持ちのよい朝だったので、朝刊を取りに行って、しばらく玄関先で新聞を広げて読んでいた。讀賣新聞の「本のソムリエ」という読書相談(?)に、「昔は本が大好きで年間100冊以上読破していましたが、今はまったく、読書する気になれません。もう一度、読書好きになれるような本を教えてください」という30歳の女性からの投書が載っていた。回答者(仏文学者の某氏)はレイ・ブラッドベリ『華氏451度』とアゴタ・クリストフの自伝『文盲』の2冊を勧めていたが、私にはなぜ「昔は本が大好きで年間100冊以上読破して」いたその女性が「今はまったく読書する気になれ」ないのか(その理由は書かれていない)が気になった。年間100冊以上ということは1週間に2冊のペースである。仮にそれが小説とかエッセーとかの読みやすい本が中心であるとしても、会社勤めをしている人がコンスタントに1週間に2冊読むことは容易なことではない。通勤の電車の中、お昼休み、帰宅して寝るまでの時間、そして休日(週休二日として少なくともそのうちの一日)を読書の時間に充てる必要があるだろう。そういう習慣をもった人が、本から離れてしまうというのはどういうことなのだろう。何かがプツンと切れてしまったのだろうか。本の中の世界に入っていくために必要なエネルギーあるいは気持ちの余裕が枯渇してしまったのだろうか。そのあたりの事情がわからなければ、いくら面白い(と回答者が思う)本を紹介してみたところでダメなのではなかろうか。
昼食は中村屋の肉まんとあんまん。それを食べてから散歩に出る。ブックファーストで以下の本を購入。アロマスケア前の「カフェ・ド・クリエ」で読む。
穂村弘・東直子『回転ドアは、順番に』(ちくま文庫)
泉麻人『30代 女たちの日記』(中公文庫)
『30代 女たちの日記』は泉麻人が普通の30代の女性13人にインタビューして彼女たちの日常を日記形式でレポートしたものである。その中の一人、歯科衛生士の川添文枝(仮名)さんには驚いた。
「二月×日 月曜日 ・・・朝はトンカツ。これもわが家では別段珍しいことではない。昔から朝はゴージャス、夜は質素、というパターン。慣れているので、目覚めるとオナカがキューと鳴る。」
「二月×日 火曜日 朝食、ウナギの蒲焼。また何の臆面もなくペロリと平らげてしまった。この日本に「ズームイン朝」を観ながらウナギを食べる家族は何軒くらい存在するだろうか・・・」
「二月×日 水曜日 朝食―ゴハン、納豆、ミソ汁。たまにはこんな日があっていい。」
私は昼食に「鈴文」のとんかつを食べるとき、より美味しく食べるために朝食を抜くことがある。だから一日の最初の食事がとんかつというのは感覚としては理解できる。でも、「鈴文」がもし朝から営業していたとしても、朝食にとんかつを食べたいとは思わないだろう。まあ、食べるとしたら、塩でかな。
昼食は中村屋の肉まんとあんまん。それを食べてから散歩に出る。ブックファーストで以下の本を購入。アロマスケア前の「カフェ・ド・クリエ」で読む。
穂村弘・東直子『回転ドアは、順番に』(ちくま文庫)
泉麻人『30代 女たちの日記』(中公文庫)
『30代 女たちの日記』は泉麻人が普通の30代の女性13人にインタビューして彼女たちの日常を日記形式でレポートしたものである。その中の一人、歯科衛生士の川添文枝(仮名)さんには驚いた。
「二月×日 月曜日 ・・・朝はトンカツ。これもわが家では別段珍しいことではない。昔から朝はゴージャス、夜は質素、というパターン。慣れているので、目覚めるとオナカがキューと鳴る。」
「二月×日 火曜日 朝食、ウナギの蒲焼。また何の臆面もなくペロリと平らげてしまった。この日本に「ズームイン朝」を観ながらウナギを食べる家族は何軒くらい存在するだろうか・・・」
「二月×日 水曜日 朝食―ゴハン、納豆、ミソ汁。たまにはこんな日があっていい。」
私は昼食に「鈴文」のとんかつを食べるとき、より美味しく食べるために朝食を抜くことがある。だから一日の最初の食事がとんかつというのは感覚としては理解できる。でも、「鈴文」がもし朝から営業していたとしても、朝食にとんかつを食べたいとは思わないだろう。まあ、食べるとしたら、塩でかな。