8時、起床。今日は朝から晴れて暖かい。家の前の電信柱に巣のある雀の一家がみんなで近所を飛び回っている。子雀たちはまだ小さく飛び方も下手だ。うちのベランダの硝子戸いぶつかるやつもいる。そそっかしいやつだ。でも、早くちゃんと飛べるようにならないとカラスにやられぞ。親雀も指導に一生懸命だ。草むらに落ちこぼれの子雀がいないかつい見てしまう。
9時半に予約している歯科医院へ。削ったところに金属を被せる。仮詰めをしていた期間、熱いものが沁みることがあった。冷たいものが沁みるよりも熱いものが沁みる方がよくないのだそうだ。これから2週間経過様子をみることになる。帰宅して、遅い朝食。ウィンナーソーセージとキャベツの炒め、トースト、オレンジジュース。
昼食はありあわせのもので。薩摩揚げ、貝柱の佃煮、茄子の漬物、豆腐の味噌汁、ご飯。食後に1時間ほど昼寝。
夕方、ジムへ行く。筋トレ20分、クロストレーナー20分、イージーツイスター15分。イージーツイスターというのは体幹運動のための器具。正面あるいはサイドのバーを両手あるいは片手で握り、膝を軽く曲げて、顔は正面を向いたまま、乗っている台を左右にスライドさせる。スキーのときの身体の動きに似ている。カロリー消費量はそんなに大きくないが、バランス感覚を磨くにはよい運動だ。有酸素運動はとかく単調になりがちなので、変化をつける意味からもよい。
これがイージーツイスター
トレーニングの後は「シャノアール」で読書。いま宇野重規『<私>時代のデモクラシー』(岩波新書)を読んでいるのだが、ゼミのブックレビューで誰かとりあげてくれないだろうか。いや、私のゼミの学生に限らず、現代人間論系の学生にとって必読文献といっていいくらいの興味深い内容である。
有隣堂で以下の本を購入。
木村多江『かかと』(講談社)
川本三郎『いまも、君を思う』(新潮社)
勝目梓『叩かれる父』(光文社)
林望『謹訳 源氏物語』1・2巻(祥伝社)
『かかと』は「不幸が似合う女」木村多江の初エッセー集である。写真は一枚もなし(ちょっと残念)。文章だけで勝負である。自分で書いたのだろうか。たぶんそうだろう。「おわりに」に「つたない文章を最後まで読んでくださった読者のみなさま、本当にありがとうございました。」とある。自分で書いた文章でなければ「つたない文章」という表現はしないだろう。
『いまも、君を思う』は2年前に7つ年下の妻(当時57歳)に先立たれた著者が雑誌『yom yom』に連載した追想記。「あとがき」に「私より七歳年下の家内がこんなにも早く逝ってしまうとは夢にも思っていなかった。本当にこたえた。」と書かれている。本当にこたえたに違いない。城山三郎の『そうか、もう君はいないのか』もそうだが、妻に先立たれた男の悲しみが伝わってくる本だ。私もたまに(たまにだが)妻に先立たれたときのことを考える。考えただけで涙が出そうになる。
『叩かれる父』は、長年ポルノ小説を書いてきて、2006年に自伝的小説『小説家』で作風を大きく変えた著者の最新短篇集。7編の作品の主人公は別々だが、すべて60代前半の男性。定年退職を迎えた男たちの人生模様が描かれている。
『謹訳 源氏物語』、文句なく面白い。現代語訳の『源氏物語』はあれこれ手にとってみたが、これが一番面白い。面白いとは、ストーリーが面白いという意味ではなくて(ストーリーは誰の現代語訳でも同じだ)、文章が生き生きとしているという意味だ。たとえば「末花摘」から一部を引いてみよう。
「そうそうご大層なお家柄の姫とかいうものではなく、ただかわいらしい人柄で、自分としても何も気を置かずにつきあえる、そういう人を、なんとかして見つけたいものだと、源氏はまた性懲りもなく思い続けている。このため、ちょっとでもなにか一廉(ひとかど)ありげに噂される女のことを聞けば、どうしても耳に留めずにはおかれない。
ではひとつ、と思い立つほどのなにごとかがある女のところへは、さっそく一行二行の簡単な文を送って思いを仄(ほの)めかしたりしてみるのだが、すると、たちまちその気になって靡(なび)いてくる。たまに言うことを聞かない女の一人や二人はいないものかと思うけれども、めったにそういう女もいないのには、まったく飽き飽きした、と源氏は思っている。
といって、強情で素っ気ない女となると、これまた喩えようもなく情知らずでくそ真面目、まるで男女の情の機微が分らないようで面白くもないが、さりとてそういう女が最後まで身持ちの固さを貫徹するというわけでもない。しまいには、跡形もなく矜持も捨てて、そこらへんのつまらぬ男に縁付いたりする女もいることだから、結局それなりになってしまうことも多かった。」(第2巻、7-8頁)。
主人公の人となり、女との関係が、凝縮して表現された箇所である。羨ましいような、気の毒なような、そういう男の物語なのだということが一瞬にしてわかる。「古典」を読んでいるということを忘れてしまう。全10巻のうちのまだ2巻が出たばかりだが、「決定版」と断定してよいのではなかろうか。