8時半、起床。ホタテとアスパラガスの炒め物、トースト、牛乳の朝食。フィールドノートの更新をすませてから、地元の映画館「テアトル蒲田」へ今日封切りの『孤高のメス』を観に行く。
執刀中の堤真一のアップは『白い巨塔』の田宮次郎に似ている。しかし、堤真一演じる外科医、当麻鉄彦には財前五郎のような権力への野心はない。ある日、海辺の市民病院へ赴任してきて、多くの患者の命を救い、そして、日本初の脳死肝移植を成功させて、病院を去っていく。まるで映画『シェーン』の主人公のように。たぶん原作(私は未読)と映画では主人公のキャラクター設定にいくらか違いがあるのだろう、当麻鉄彦は『孤高のメス』というタイトルからイメージするような孤独で孤立した人間ではない。当麻のことを嫌っているのは大学病院から派遣されている一部の医師だけで、市長も、病院長も、現場のスタッフも、患者も、さらには件の大学病院の教授さえも、みんな当麻のことが好きで、尊敬もしている。いわば当麻はアウェーではなくてホームで試合をしているサッカーチームのエースなのである。見せ場である長時間の手術のシーンは2度。当麻が赴任してきた日のいきなりの緊急手術、そして脳死肝移植手術である。前者は当麻の外科医としての優秀さを印象付け、後者は脳死患者の臓器を移植するという行為が「命と命を繋ぐこと」であることを印象付ける。脳死患者は高校生。笑顔が爽やかな青年であった。その母親(余貴美子)は小学校の先生で女手一つで彼を育ててきた。ある意味、この映画の主役はこの母親と息子である。物語の語り手である看護師(夏川結衣)も5歳の息子を女手一つで育てている。当麻は子どもの頃、医療ミスで母親を失っている。幾重にも積み重なった母親と息子の物語。物語は、成長し、医師となった看護師の息子(成宮寛貴)が、当麻が院長をしている地方の病院に赴任するところで終る。美しい終り方である。
映画館を出て、昼食は「天味」の天丼の上(かきあげ付)。いま、体重をコントロール中なので、たまにしか食べられない。しみじみと味わって食べる。食後の珈琲は「テラス・ドルチェ」で。購入したばかりの『孤高のメス』のプログラムを隅から隅まで読む。
帰宅して、昼寝をして、夕方からジムへ行く。天丼のカロリーを、全部は無理だが、半分相当は消費しなくてならない。ジムへ行くのは、足腰を鍛え、体重を落とすためだけではない。美味しいものを食べるためでもある。