8時半、起床。本日は晴天なり。昨夜の憂鬱な気分は、払拭とまではいかないが、だいぶ緩和された。ベーコン&エッグ、ピラフの朝食。本来はピラフではなくトーストなのだが、娘が電子レンジで冷凍ヒラプをチンして、たぶん弁当箱に詰めて会社にもっていくはずだったものが、チンされたまま放置されていたので、それを食べた。食べ終わった頃に、娘からケータイに「ピラフレンジであっためっぱなしででかけてしまった。だれか食べて栗」とメールが届いた。「食べました」と返信する。「すみませんのう(・ω・)」と再度のメール。おまえは村の長老か。
フィールドノートを更新し、授業の準備をして、昼過ぎに家を出る。「西北の風」で昼食。ナポリタン、そして食後の珈琲。1時間ほど滞在し、授業のテキストに目を通す。混雑する時間帯だと一人客用の窓際のカウンター席に案内され、そこは椅子の座面が高くて足が床に届かないので(地に足が着いていないとはこのことだ)、あまり寛がないが、今日のように混雑のピークが過ぎてから行くと、普通のテーブル席に座れるので、ゆったりとした時間を過ごすことができる。食事とはたんに食べ物を口から入れて胃に送り込む作業ではない。食事の時間(とくにランチタイム)を十分に確保できているかどうかは、日々の生活を自己点検するときの重要な指標の1つである。
4限は大学院の演習。「底流としての日常を生きる」49歳の女性のライフストーリーを読んだ感想を話し合う。
教員ロビーで増山先生、岡部先生と社会福祉士プログラムの来年度のカリキュラムの相談。
6限は演習「現代人と家族」。今日からテキストが2冊目に入るとともに、報告が1回1グループとなり、報告時間もディスカッションの時間も2倍(各40分)になる。この時間をどう有効に使うががポイントである。ディスカッションでは、クラス全体でのディスカッションの前に、5、6人でのグループディスカッションを導入し、その成果を踏まえて全体でのディスカッションを行った。全部のグループに順番に発言してもらうだけの時間はなかったので、「ぜひ発言したい、みんなに聞いてもらいたい」グループを優先した。「さあ、手をあげて」と発言を促したが、手があがらない。シーン。ついさきほどまでのグループディスカッションでは談論風発のように見えたが・・・。まあ、これは予想された事態であり、井戸端会議のレベルで発言するのと公共圏のレベルで発言するのとのハードルの高さの違いである。ここで、安易に沈黙を打開するために、「では、こちらから指名します」とはしない。あくまでも「手をあげて発言する」という主体的な行為にこだわる。演習形式の授業の一番のポイントだ。シーン。沈黙の時間がなお数秒間続く。と、後ろの方で手があがった。「そのとき、一人の若者が立ち上がった。私にやらせてください」と『プロジェクトX』であれば田口トモロヲのナレーションが入る場面だ。私のゼミの3年生クラスのゼミ長のSさんだった。彼女の発言をきっかけに、堰を切ったように(というほどではないが)、次々と手が上がった。うん、第一ハードルクリアーである。
石黒先生と「秀永」で食事。ここ何回か、「秀永」は混んでいて、他の店で食べることが続いた。カウンター席なら空いているのだが、二人なので、そこに並んで座るより、テーブル席で向かい合って食事がしたい。時間的にゆとりだけでなく、空間的ゆとりも大切なのだ。今日は3つあるテーブル席の一番入口に近い席がタイミングよく空いていた。私は油淋鶏定食(ご飯少な目)、石黒先生は木須肉定食(ご飯大盛)を注文し、シェアーして食べる。時間と空間、さらに品数も大切なのだ。