8時、起床。朝食はとらず、9時に家を出る。10時から大学で会議があるのだ。会議の前に教員ロビーの無人販売所で「SOYJOY」(アプリコット味)とミネラルウォーターを購入。一時しのぎにはこれが一番。
会議は昼前に終了。「maruharu」に昼食をとりにいく。照り焼きチキンとレタスのサンドウィッチとアイスカフェラテ。
『天地明察』を読みながら
キャンパスに戻る途中で、郵便局に寄って保険のお金を振り込み、銀行で両替をし、『築地銀だこ』でたこ焼きを予約する。たこ焼きは明日の6限の演習で食べるためである。1人1パックはお八つにしては多いので、2人1パック見当で注文する。
スロープを上がっていると3年生のEさんに声をかけられ、夏休みの勉強のことで質問を受けたので、そのあたりに腰を下ろして、しばし話をする。「お時間をとってしまってすみません」と言われ、「いえ、暑い中、歩き疲れたので、ちょと木陰で座りたいなと思っていたのです」と答えると、「先生、けっこうおちゃめですね」と返された。こういうのを「おちぇめ」と表現するのだろうか。若者言葉は難しい。
研究室に戻って雑用を片付け、2時から運営主任会。いつもは文学部関係の議題のときはボケッとしているのだが、今日は注意深く聞く。そうすると、実はそれが文化構想学部の問題と地下の水脈でつながっているということにハタと気づく。「明察」とどこかで声がしたような気がした。
5時から現代人間論系の教室会議。今日の最重要の議題は主任の交代の件であったが、決定には至らず、次回に持ち越しとなった。
大学を出たのは7時ちょっと過ぎ。夏至の頃より少しばかり空が暗くなるのが早くなっている。でも、気温は高くなっているので、物悲しい気分にはならない。
『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』(長崎出版)という本があることを小沼先生から教えられ、最近、入手した。八木重吉を彷彿とさせる、タイトルにもなっている一行詩は「くも」という題で、編者の寮美千代さんはこの詩についてこんなことを書いている。
Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。
そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語りだしたのです。
「今年でおかあさんの七回忌です。おかあさんは病院で
『つらいことがあったら、空を見て。そこにわたしがいるから』
とぼくにいってくれました。それが、最期の言葉でした。
おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。
ぼく、小さかったから、何もできなくて・・・・・」
Aくんがそう言うと、教室の仲間たちが手を挙げ、次々に語りだしました。
「この詩を書いたことが、Aくんの親孝行だと思いました」
「Aくんのおかあさんは、まっ白でふわふわなんだと思いました」
「ぼくは、おかあさんを知らないので、この詩を読んで、
空を見たら、ぼくもおかあさんに会えるような気がしました」
と言ったその子は、そのままおいおいと泣きだしました。
自分の詩が、みんなに届き、心を揺さぶったことを感じたAくん。
いつにない、はればれとした表情をしていました。
たった一行に込められた思いの深さ、そこからつながる心の輪。
目を見開かれる思いがしました。(13頁)