フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月24日(土) 晴れ

2010-07-25 00:20:40 | Weblog

  9時、起床。ドライカレーと冷麦茶の朝食。今日も暑いことには変りはないが、雲は多めで、天気予報では明日は雨の確率が高い。「梅雨明け十日」というけれど、確かにそうだな。

  昼食は稲荷ずし、海苔巻き、天むす。少し昼寝をしてから、大学へ出かける。講義「青少年と学校」をお願いしている高瀬先生の今日は最後の授業なので、会ってお礼を言うためである。文化構想学部の立ち上げ準備をしているときに非常勤講師のお願いをして、その後、高瀬先生の弘前大学への就職が決まり、さてどうしたものかと迷ったのだが、「母校の教壇に立てることはとても光栄なことです」と言っていただけたので、週に一度の遠距離通勤をお願いすることにした。実家が武蔵村山なので宿泊費の負担はなかったものの、交通費は大学の規定で一部しかお出しできず、給与と差し引き足が出たであろうことは間違いない。2年間、どうもありがとうございました。教員ロビーで少し話をしてから、「maruharu」でサンドウィッチと冷たい飲み物(一杯目はフレッシュピーチティー、二杯目はアイスカフェオレ)でささやかな慰労の会。

  帰りの電車の中で、吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(中公文庫)を読む。ここ数日、電車の中でこの小説を読んでいる。サンドウィッチと映画の話が中心の小説で、読んでいてとても気分がいい。たとえば、主人公の青年が「3」(トロア)のサンドウィッチを初めて食べる場面はこんなふうだ。

  「そのサンドイッチを、僕は自分にとっての最高の場所―つまり隣駅の映画館の闇の中で食べることに決めた。上映中のプログラムはすでに三度目だったが、そんなことはとりあえずどうでもいい。
  なるべく紙袋の音をたてないよう、手さぐりで中のものを取り出し、手にした順にそのまま食べてゆくことにした。暗いので、口にするまでは、ハムなのか、きゅうりなのか、じゃがいもなのかわからない。売店で買った缶コーヒーのフタを「ぷしり」とあけ、スクリーンから目を離さないよう、手にしたものをかぶりとやってみた。
  ところが、それがハムでも、きゅうりでも、じゃがいもでもない味で、思わず手の中のものをまじまじと見ると、ちょうどスクリーンが明るいシーンになって、手もとがぼんやり浮かび上がってきた。
  じゃがいものサラダ。
  が、口の中には、じゃがいものサラダより数段まよやかな甘味がある。
  目はいちおうスクリーンを見ていたが、意識の方はすべて舌にもっていかれ、そのまろやかさが何に似ているか、懸命に記憶を探って言い当てようとしてみた。
  でも、うまく言えない。とにかく、非常においしいもの。しいて言えば―本当にしいて言えば―本物の栗を練ってつくられたモンブラン・ケーキのクリーム。
  いや、あれほど甘くはなく、もっと歯応えがある。
  それにしても三度目だからよかったようなものの、サンドイッチの袋をあけてからはまるで映画が頭に入らなくて、ハムの香りに驚き、きゅうりの口あたりに魅了され、ついにマダムの分まで手をつけて、すべて食べつくしてしまった。
  映画に夢中になるあまり、何を食べたのか覚えていないことは何度かあったが、サンドイッチに夢中になってスクリーンが霞むなんて信じなれない。
  ―なかなかおいしいわよ。
  マダムの声がまだどこからか聞こえてきた。
  いや、「なかなか」どころか、僕には人生が変わってしまうほどの味だった。」(19-20頁)

  この場面は他人事とは思えない。「maruharu」のサンドウィッチを初めて食べたときの私がこんな感じだったからだ。これから「maruharu」へ行く人のためにアドバイス。(1)「本日のサンドウィッチ」がまだ売り切れでなかったらそれを注文すること。一期一会の味である。(2)「お持ち帰りですか、ここで召し上がりますか」と聞かれたら、「ここで」と答えること。(3)聞かれなくても「トーストでお願いします」と注文すること(持ち帰りでなく「ここで」食べるのはトーストで食べるためである)。(4)「本日のスープ」も一緒に注文するとよい。(5)時間とお金に余裕のあるときは食後に冷たい飲み物を注文するとよい。
  蒲田に着いて、「テラス・ドルチェ」に寄って、メロンクリーム・ソーダを飲みながら、書き物をする。今日の文字はていねいに書けている。7時過ぎに帰宅。


マジックアワー