フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月15日(土) 曇り

2011-01-16 01:52:28 | Weblog

  8時半、起床。カーテンを開けると、久しぶりの曇り日。もしかして東京では今年最初の曇り日か。曇り日や命の果ての薄明かり。パクリだ。しかも季語なし。でも、雰囲気は出ているんじゃないか。青空もいいが、たまには静かな曇天もいい。豚肉のキャベツスープ煮でご飯の朝食。
  昼から大学へ。1時から3時半まで、オープン教育センター関連の会合。終って、「maruharu」で遅い昼食をとる。本日のサンドウィッチ(ハムカツとキャベツ)と珈琲。腹ペコだったこともあるが、すごく美味しかった(今日はカメラもケータイも忘れてしまったので、写真はなし)。
  ちょっと事務所と教務室に顔を出し、生協で修正テープと、ポール・ヴァレリー『ムッシュ・テスト』(岩波文庫)を購入。急にヴァレリーを読んでみようという気になったのは、最近読んだ『明日への回想』の著者である菅野昭正がヴァレリーの専門家で、本の中で何度もヴァレリーの話が出てきたからである。馬場下の交差点で宮城先生と一緒になり、九段下までおしゃべりをしながら帰る。
  蒲田に着いて、TSUTAYAで中古CDを3枚購入。「シャノアール」でクリームソーダで一服。

  柴咲コウ「LOVE PARANOIA」(1000円)
  スキマスイッチ「ナユタとフカシギ」(500円)
  YUI「HOLIDAYS IN THE SUN」(1500円)

  気まぐれな買物であるが、理由はある。柴咲コウについては、先日、TVで彼女が出演していた映画『容疑者Xの献身』で彼女が歌う主題歌「最愛」を聞いてよかったので。スキマスイッチについては、年末に小田和正の「クリスマスの約束」に彼らが出演していて「上手いな」と思ったので。YUIについては、よく知らないのだが、ジャケットの写真に惹かれて。聴いてみたら、最初の「to Mother」という曲がとてもよかった。2曲目の「again」を聴いていて、誰かの歌い方に似ていると感じ、誰だろうと思い出しのが、川本真琴だった。

  深夜、『ムッシュー・テスト』を読む。

  「われわれは口をつぐみ、この群集の断片にはなるまいとねがいながら、じっとおたがいを見つめる。しかしわたしはというと、途方もない他者がいたるところからわたしを圧迫してくる。その他者は、浸透をゆるさぬ自分自身の実質のなかで、わたしのかわりに呼吸している。わたしが微笑むと、その他者の魔法の果肉がすこしばかり、わたしの観念から遠からぬところで、よじれる。そして、わたしの唇がそのように変化することで、わたしは突然、自分が鋭敏だと感じる。
  さあ、何がわたしに属しているのか、わたしは知らない。この微笑さえも、半ば思いだとってみたそのつづきさえも。
  わたしをかけがえのない存在としているものが、この場の厖大な群集、過ぎゆく豪奢と混じりあう。あそこには、政治の一粒子としての、個人たちが他の何人かの個人たちのあいだを流れてゆき、わたしの省察をとおして、焔と化した空気と人間が、かぎりなく入れ替わりながら、わたしの思考に吹きつけ、あるいは裏をかき、先んじ、あるいはときにはまさしくわたしの思考を形成する。
  始まりであり終わりである絶えまのない力が、人びとを、人びとの断片を焼きつくす、疑惑を、歩いてゆく章句を、娼婦たちを焼きつくす、絶えざる色彩のギャロップがその場の情景のすべてを、いや消し去られた瞬間までを、何か独特な空虚のなかへと運び去って・・・」(ポーツ・ヴァレリー「ムッシュー・テストとの散歩」より)