フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月8日(水) 晴れたり曇ったり

2012-02-09 00:44:20 | Weblog

  7時半、起床。ポテトグラタン、バタートースト、紅茶の朝食。テストの採点結果をコースナビから入力。

  9時半に家を出て、大学へ。10時半からカリキュラム委員会。お弁当を食べながら、1時ちょっと前まで。

  1時から人事委員会。4時頃まで。

  5時から教授会・主任会打ち合わせ。6時頃まで。引き続いて事務方と教室の机や椅子の件で相談。

  夕食は「maruharu」で。客は私一人だけ。こういうとき、私は店の売り上げに貢献せねばという気持ちになる。


まずは前菜代わりのオレンジゼリー


身体の芯から温まるポタージュスープ


バゲットはどんなおかずにも合う

  メインデュッシュはチキンソテー。チキンソテーにかかっているのはタブナードソース(ブッラクオリーブ、アンチョビ、ニンニクで作る) 芳醇な味わいで、パンにつけて食べても美味しい。右上はアボガドとサーモンとクリームチーズのサラダ。これもパンにつけて食べる。


デザートはチェリータルトとコーヒー

  あゆみ書房で以下の本を購入。電車の中で読む。

   掛尾良夫『『ぴあ』の時代』(キネ旬総研エンタメ叢書)

   菊間千乃『私が弁護士になるまで』(文藝春秋)

   『ぴあ』の創刊は1972年7月。私が高校3年生の夏休みだった。『ぴあ』の表紙を担当していたイラストレーターの及川正道はこう言っている。

  「72年っていう年がね、絶妙なタイミングだったと思う。もうちょっと前の時代、学生運動真っ盛りだったら、“何だこんな軟弱な雑誌を作りやがって”なんて相当批判されたはず。でもね、72年はそろそろ、別の価値観というか、“人生の地図”を必要とする、人間の気持ちのゆとりみたいなものが出てきていた」

  読売新聞編集委員の山野辺一也はこう書いている。

  「東京のことはすべて『ぴあ』に教わった。私が暮らし始めた1980年代の東京は、巨大な迷路のようなものだった。とにかく大きすぎて、どこに何があるかわからない。そんな私にとって、情報誌『ぴあ』は、東京歩きに必携のガイドだった。ぴあに導かれながら、映画やコンサートに足を運んでいるうちに、自然に馴染めた。」

  確かに「『ぴあ』の時代」と呼ぶべき時代が存在した。ただし、私が愛読したのは、『ぴあ』ではなく、類似雑誌の『シティーロード』の方だった。それは『ぴあ』より薄手で(したがって安価で)、試写会の招待券がよく当たったからである。

  9時半、帰宅。メールをチェックすると左右社のK氏から原稿の進捗状況の問い合わせのメールが届いていた。うぅ・・・。