6時、起床。
朝食はとらず、書斎に入る。「6時起床」は、めったにできないが、理想的な生活サイクルの始点である。一日(24時間)を4つに等分して(クウォーター制)で一日を送るのだ。
第1クォーター(6時から12時) 朝食と仕事
第2クォーター(12時から18時) 昼食と散歩(あるいはジム)とカフェ(読書orおしゃべり)
第3クォーター(18時から24時) 風呂と夕食と趣味とブログ
第4クォーター(0時から6時) 睡眠
でも、なかなかこうはいきません。あくまでも単純な生活の理念型。
昼食は母が作ってくれたものを食べる。焼きナス(味噌)、卵焼き、煮豆、キュウリとワカメの酢の物、味噌汁、赤飯。
今日は4年生と1年生の成績発表の日。4年生は卒業できるかどうかが決まり、1年生は第一希望の論系・コースに進級できるかどうかが決まる。ツイッター上には悲喜こもごものつぶやきが溢れている。大部分の学生は、卒業が確定し、第一希望の論系・コースに進級が決まったであろう。おめでとう。元気に進んで行ってください。そうでない学生たちの中には戦略的に留年や未進級を選択した者もいるであろうが、多くは不本意な(あるいはいたしかたない)結果だろう。人生は自分の思うようにならないものである。思うようにならない人生を生きるのが近代人であるといってもよい。なぜなら前近代の人々は思うように人生を生きようという発想がなかったであろうからである。思うように生きてよいのだ、思うように生きるべきなのだというのは、近代の思想である。この思想は必然的に思うようにいかない人生を生きる人々を大量に発生させる。なぜなら、人々の思うところというのは似通っており(同時代的価値観)、その結果、人生は希少な資源をめぐる競争という色彩を帯びてくるからである。勝者は少数であり、敗者は多数である。また、生活の基本的条件である(自分や家族の)健康は、思わぬタイミングで病気や怪我によって損なわれ、思い描いていた人生を頓挫させる。私たちは、人生の途上において、思うようにいかない出来事をたくさん経験する。だから思うようにいかないからといって、そのたびに大きく落ち込んだり、捨て鉢になっていては、身が持たない。思うようにいったとき(第一希望の実現)は大喜びし、第二希望が実現したら中喜びし、第三希望が実現した小喜びしよう。そうやって思うようにいかない人生と折り合いをつけながら生きていくのが(近代社会の)大人の生き方である。「諦めなければ夢は叶う」という信念は、間違っているとまでは言わないが、子どもっぽい人生観であり、思うようにいかない人生の苦悩をさらにこじらせる働きがある。
懸案事項を一つ片付けて、やれやれという気分で、ジムへ行く。夕方5時の空である。本当に陽が長くなった。
筋トレ2セットと有酸素運動45分。600キロカロリーを消費。
帰り道、東口から西口へ、陸橋を渡る。一昨日で営業を終えた東急プラザの屋上の観覧車だが、名残を惜しむようにライトアップされている。
7時、帰宅。今日の夕食は寄鍋。鶏肉と白菜とシメジと糸コンニャク。
長田先生と教え子の社会学者たちによる論文集『つながる/つながらないの社会学―個人化する時代のコミュニティのかたち』(弘文堂)が刊行された。まだ入手していないが、春休みの読書リストに加えておきます。