フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月29日(土) 晴れ

2014-03-30 01:05:02 | Weblog

     10時、起床。

     ケータイにメールが届いていた。卒業生のMさんのメールアドレスからだった。しかし、それはMさん本人からのメールではなく、Mさんのお姉様からのメールだった。

     Mさんが亡くなったのだ。

     3年前に大きな病気にかかり、大変な手術を受けた。一時はかなり回復したように見えたが、1年半ほど前に病気が再発し、以後、入退院を繰り返していた。その間、私とはメールのやりとりをしていた。私のブログを読むことを日課にしていて、「先生、食べ過ぎです」とよく注意されていた。

     そういうMさん自身、食べることが大好きで、元気になったら、東京に出て来て、私のブログに登場する食堂やカフェの梯子をする約束をしていた。Mさんも私もその約束を果たすことは難しいだろうとわかっていたが、それは口にせず、明るい会話に努めた。

     しかし、病状はしだいい厳しいものになっていき、メールをしても何日も返信のないことが増えてきた。おそらく返信どころか、メールを読むことも難儀になっていたのだと思う。

     Mさんと最後にメールのやりとりをしたのは2月の上旬、Mさんが何度目かの退院をした頃だった。私が卒業生からもらった「かるかん」のことを話題にして、「かるかん」を食べたことはありますかと尋ねると、食べたことはあると思いますがあまり美味しかったという記憶はありませんとのことだった。そのときのメールには、「私は退院はしたものの、なかなかしんどいです」と書かれていた。「しんどい」という言葉を彼女がメールに書いてきたのはそのときが初めてだった。

     Mさんが亡くなったのは、3月25日の午後7時21分だった。緊急入院をした翌日のことだった。その日は大学の卒業式で、その時刻、私は天ぷら屋で一人の夕食を終えて、カフェでしんみりとした気分でコーヒーを飲んでいた。いま思えば、私はそのとき、もう一人の卒業生を見送っていたのだ。

     下の写真は、Mさんが手術を受けてから10か月後、彼女が一番回復していた頃、彼女の生まれ故郷で彼女と会ったときに撮ったものである。いま君は、ようやく身体の苦痛から解放されて、春の海を眺めているのだろうか。      

        今日の東京は暖かだった。近所の呑川沿いの桜の並木も一挙に花開いた。 

           二十九の春爛漫の別れかな  たかじ