7時、起床。私にしては早起き。合宿の調子が続いている。
ハンバーグ、マフィン、サラダ(鶏肉、ブロッコリー、レタス)、牛乳の朝食。
午後、散歩に出る。
家の解体工事をやっている。ブルドーザーが怪獣に見えるのは、怪獣映画を観たばかりだからではない。誰が見てもそう見えるだろう。
久しぶりに「あるす」に顔を出す。夏の間は午後の早い時間帯は中休み(お昼寝休憩)をされていたので、タイミングが合わなかったのだ。
久しぶりに顔を出すときときは必ずといっていいほど、マダムから「外国旅行に行かれているのじゃないかと主人と話していたんです」と挨拶される。今回もそうだった。「外国には行っていませんが、この夏は、小旅行は何度かしました」と答える。
モカを注文すると、バウムロールというお菓子が付いてきた。お好きなのだろうか、御茶受けはこれのことが多い。
今度の金曜日、ご夫妻は結婚50周年を迎える。「そうですよね?」と私が尋ねると、「まぁ、どうしてご存知なのですか?」とマダムが驚かれたので、「以前、そのお話をうかがったときに、手帳にメモしておいたのです」と答える。東京オリンピックの年(1964年)の10月3日。
お二人はお見合い結婚で、マスターは30歳、マダムは23歳であった。結婚をとりもったのが両家に出入りしていた保険会社の外交員だったという話は私には興味深かった。親戚でもなく、ご近所の方でもなく、職場の人でもなく、友人でもなく、保険会社の外交員。そういわれてみると、担当する世帯のデータを彼女たちは熟知しているわけで、「うちの息子に誰かいい方いないかしら」と顧客から相談されることもあったのかもしれない。いまは昔の物語である。
マダムの知らないところでそうした相談がなされて、ある春の日、マスターとお母様がマダムのところを訪れた。2人が結婚式をあげたのはその半年後である。トントン拍子というのはこのことだが、マダムが言うには、「音楽を仕事にされているということで、普通のサラリーマンの方より楽しそう」と思ったことと、「お母様が私のことを気に入ってくださったみたいなの。ねぇ、そうでしょ?」とマスターに話を振るが、マスターはニコニコして聞いているだけで、「いいや、母だけではなくて、私も気に入ったんだよ」みたいなことは言わない。
ご自宅の庭に成った姫柚子という小さな柚子をいただく。私が柚子の写真を撮ろうとすると、マダムが「まぁ、写真に撮っていただけていいわね」と柚子に話しかけたので、これはてっきり自分も撮ってほしいという意味の一種の間接話法かと思い、「では、マダムの写真もお撮りしましょう」と私がカメラを向けようとすると、「今日は髪がぼさぼさだから」と固辞された。
「あるす」を出て、前の道を左の方向へ歩いて、呑川を渡る。
さらに歩いて、JRの踏切を渡る。
そこが梅屋敷の商店街の端っこである。
さらに歩いて、東邦大学病院通りを渡ると、梅屋敷の商店街の中心に至る。
ここまで来たのは、「phono kafe」の常連客の会計士さんに教えていただいた「翠芳」という和風カフェに入ってみたかったからだが、生憎、今日は定休日だった。一階が美容室で、二階がカフェで、連動しているらしい。一般に美容室は火曜日が定休日である。そのことに考えが至らなかった。
梅屋敷で一番有名なカフェ「琵琶湖」で昼食をとる。たらことキノコのスパゲッティと飲み物のセットを注文。「あるす」でコーヒーを飲んだばかりなので、セットの飲み物はコーラにしたら、ビンで出て来た。
これも地元では有名な石窯パンの店で、イギリスパン、クロワッサン、デニッシュを買って帰る。
クロワッサンは焼き上がったばかりのものを買ったので、帰宅して、すぐに食べる。うん、美味しい。
ジムに行こうかどうしようか考えているうちに夕方になった。ジムはやはり昨日の今日なのでやめておく。二日連続では疲れが溜まりそうだ。
夕食は鶏肉と野菜のクリーム煮。
デザートはパン屋で買ったデニッシュ2種(モンブランパイとアプリコットパイ)を妻とシェアして食べる。シェフはパティシエらしく、普通のパン屋さんのデニッシュとは一味違う。
友人のKとメールで相談して、秋の安楽亭訪問の日程を決める。安楽亭に隣接するお寺(長円寺)の紅葉とタイミングが合うといいのだが、今年はどうだろう。去年の秋の安楽亭訪問の記事はこちら。