8時、起床。
朝食はとらず10時半に家を出て、妻と国立劇場へ歌舞伎の公演を観に行く。松本幸四郎と市川染五郎親子が共演する通し狂言『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』である。
開演は12時で、40分ほど前に劇場に着き、玄関横の喫茶「濱ゆう」で昼食をとる。二人ともおでん(ごはん付)を注文。
開演までの時間、館内をぶらぶらする。日本画の巨匠たちの作品(それも大作揃い)が壁にずらりと展示されている。まるで美術館だ。これだけで入館料がとれるだろう。開館(1966年)のときに経団連が寄贈したものである。羽振りが良かったのだなあ。
伊東深水「娘道成寺を踊る吾妻徳穂」(1965年)
そして開演。4幕5場、途中で3回の休憩が入り、終わるのは4時半。長丁場の観劇である。
パンフレットを引用しながら、話の内容を説明すると、
序幕「新清水の場」は、「豪商山崎屋の若旦那・与五郎は、遊女・吾妻と深い仲。吾妻に横恋慕する平岡郷佐衛門によって窮地に陥れられますが、吾妻の朋友・都と相思相愛の南与兵衛が救います」。タイトルの一部「曲輪日記」はここに由来する。染五郎は与五郎と与兵衛の二役を演じる。染五郎は他の幕でも別の役も演じる、一人三役である。そういう無理をする(しかも早変わり)必然性は作品内にはないのだが、歌舞伎という見世物の娯楽性がそうしたトリッキーな演出を求めるのである。郷佐衛門の一味に襲われた与兵衛が新清水の舞台から飛び降りて、傘をパラシュート代わりに(ワイヤーに吊られて)舞台上を浮遊する演出も同様。
二幕目「堀江角力小屋の場」は、「山崎屋の贔屓を受ける濡髪長五郎(松本幸四郎)、郷佐衛門に荷担しようとする放駒長吉(市川染五郎)に勝を譲り、与五郎への力添えを頼みます。名力士の濡髪と素人相撲の放駒の意地と意地とがぶつかり合う一幕です」。タイトルの一部「双喋々」は「長五郎」と「長吉」という二人の力士の名前に「長」がついていることに由来する。ここからわかるように、『双蝶々曲輪日記』は元々は別の話(人形浄瑠璃)であったものをつなぎ合わせてできている。そのためストーリー展開には少々無理矢理のところがあるが、歌舞伎が重視するのは、ストーリーの一貫性・整合性ではなく、一幕一幕の、一場一場の、「見せ場」なのである。とくに人気役者が決めの台詞を発し、決めのポーズをとったときに、客席から「高麗屋!」(幸四郎も染五郎も「高麗屋」である)という掛け声がかかり、大きな拍手が起こる。
三幕目「大宝町米屋の場」・「難波芝居裏殺しの場」は、「(濡髪と放駒の)二人は「米屋」で再び争いますが、弟の放埓を案じる放駒の姉・おせきの苦肉の策のおかげで、義兄弟の契りを結びます。しかし、「難波浦」で、濡髪は郷佐衛門とその仲間をやむなく殺害。実母のお幸に一目会おうと訪ねる「引窓」へと続きます」。ここまでコミカルな場面もけっこうあったが、殺人事件が起こることで、話は一転して深刻なものになっていく。
四幕目「八幡の里引窓の場」は、「お幸は与兵衛の継母でもあります。濡髪、与兵衛、与兵衛の女房となった都、お幸―四人が互いの心中を察して苦労する姿が、屋根の明かり取り〝引窓〟を効果的に使って描かれます」。濡髪の実母は与兵衛の継母でもあるというのは相当に強引な設定であるが、さらに与兵衛が郷代官の任に就いたという設定によって、お幸は実子が殺人犯、継子が役人という身を引き裂かれるような立場に置かれることになる。他の三人もそれは同様だ。さて、彼らが出した結論は・・・、ここはしばしば単独でも上演される有名な場面であるが、ネタバレはやめておく。「義理と人情」の板挟みというのは、歌舞伎の中心的テーマである。
長丁場の観劇であったが、あまり退屈することはなく(会話が長く続く場面で二度ほど居眠りをしたが)、楽しめた。
蒲田に戻り、「まやんち」へ顔を出したが、満席だったので、改装オープンしたばかりの東急プラザに行ってみる。
6階の紳士服の店でジャケットを購入してから、同じ階の「To;Fuku」という豆腐カフェ(?)で食事をする。
To;Fuku Plateを注文。
主菜はチキンの麹塩焼きをチョイス(ほかに鯖の味噌)
豆腐、豆腐のオムレツ、野菜とおからのサラダ、スープ、炊き込みご飯
デザート(豆乳のプリンにマンゴーソース)とお茶(ほうじ茶をチョイス)
出てくるまでに時間がかかったことと、盛り付けがもう少しきれいにできそうな気もするが、美味しかった。また食べてみたい。
7時、帰宅。