フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月21日(土) 晴れ

2020-11-22 13:52:42 | Weblog

8時、起床。

と、一度起きたのだが、眠くて(気力が乏しく)、寝直して10時に再起床。

一週間の疲れが出たのだろう。今週はいつもの「ライフストーリーの社会学」のほかに「現代人間論系総合講座1」のオンデマンド・コンテツンの制作があった。おまけにものもらいの切開手術を受けて、眼帯をしたままの4時間のオンラインゼミはいつも以上に疲れた。

トースト、カレー、牛乳、紅茶の朝食。

食べ終えてまた少し横になる。入院患者のようである。

しかし、いつまでもダラダラしてはいられない。

ゼミ4年生にゼミ論の書式(執筆要項)をメールで送る。

休学中の学生に近況を尋ねるメールを送る。

卒研の仮指導の学生にメールを送り、オンラインでの仮指導の日時を決める。

ゼミ二次募集に応募してきた学生たちに連絡のメールを送る。

昼食は中村屋のあんまんと肉まん。

買物に出かける。

駅までの道を途中まで行って、意外に風が冷たいことに気づく。家に引き返してセーターを着て、上着も厚手のものに着替える。長く続いた小春日和も終わりである。

川崎の「ラゾーナ」に行く。

お目当てのものは「丸善」(レジにびっくりするほど長い列が出来ていた)にはなかったが、「ロフト」(こちらはそれほど混んではいなかった)にはあった。

「ラゾーナ」はいつ行っても混んでいる。買物を済ませ。さっさと蒲田に戻ってくる。

「スリック」に顔を出す。今朝、マダムから「本日お休みの予定でしたが、14:00~18:00まで営業します」というLINEが届いたのだ。

この時間にシフォンケーキを食べてしまうと夕食に差し支えるので、ホット・ジンジャエールを注文。

このところのコロナの感染再々拡大について話をする。東京は一日500人台が続いているが、春頃は一日50人台で大騒ぎをしていたのが嘘のようである。あの頃は「ステイ・ホーム!」「不要不急の外出自粛」が連呼されていて、実際、お店も閉まっていたから外出しても行き場がなかった。馴れと言うのは怖いものである。いや、怖いものであると同時に、必要なものでもあるだろう。いま春頃の生活に再び戻せるかと言うと、社会レベルでも個人レベルでもそれは無理だろう。リスクを抱えながら、注意を払いながら、在宅と外出、対面的行為と非対面行為の最適なバランスを模索していくことだ。

夕暮れの街を帰る。これからいつもの年末と違う年末、いつもの正月と違う正月をわれわれは迎えることになる。そういう「いつもと違う〇〇」が3ヵ月ほど続いた後に、「去年と同じ春」が待っているのだろうか。あるいはそれもまた「去年と違う春」なのだろうか。

時間旅行の列車に乗って、それを確かめてみたい。

午後5時、日没後30分が経過した西の空。

「ティースプーン」に灯りが点いている。島田さんはシュトーレンの追加注文を受けることにしたようだ。

夕食は「マーボ屋」でテイクアウト。

海老のサクサクフリッター。

鶏肉とカシューナッツの甘辛炒め。

黒酢の酢豚。

デザートは柿。

駅ビル東館の「くまざわ書店」で購入した『NHK俳句』12月号。

 冬滝の真上日のあと月通る 桂信子

 皆去りぬ焚火育ててゐるうちに 高浜虚子

 星満ちて地にはこぼれずクリスマス 相馬遷子

 手ざわりのなき一年や年の暮 たかじ  *これは『NHK俳句』には載っていません(私の句です)。

夜、近所のポストに郵便を出しに行く。メッセージだけならメールやラインで送れるが、物は送れない。

風呂から出て、『桑田佳祐の優しい夜遊び』をラジオ(ライブ)で聴く。このところずっとライブであれタイムフリーであれrahdikoで聴く習慣が定着しているが、久しぶりで聴くラジオの音というのは柔らかく厚味がある。

それに続いて今日の昼間に放送された『福山雅治 福のラジオ』をradhikoで聴く。このところ彼はニュー・アルバムの発売キャンペーンでテレビ番組に出まくっていらしい。「さすがにお疲れ気味です」と語っていた。

ラジオを聴きながら、蜜柑を食べる。

小皿に載せるには訳がある。

松本のギャラリーカフェ「Gargas(ガルガ)」で購入した一品である。

1時15分、就寝。