フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月25日(水) 曇り

2020-11-26 12:33:36 | Weblog

9時、起床。

パン、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。ロールパンというものは焦げやすいものである。考えられる要因は2つ。第一に、バター成分が多いこと。第二に、厚味があるので熱源に近いということ。

本日の『エール』。時代がどんどん進む。盟友池田(=菊田一夫がモデル)の急逝を契機に裕一はしだいに音楽業界の一線を退いていく。私が古関裕而の顔をよく知っているのは、萩本欽一が司会(初代)をしていた『オールスター家族対抗歌合戦』の審査委員を彼が長く務めていた(1984年まで)からである。

昨日のブログをアップする。

講義資料を作成する。

今日は中学3年のときの同級生、相良君と伊藤さんと会食(ミニクラス会)の約束がある。(二人ともいまは姓が変わっているが旧姓のままで呼ばせていただく)

場所は蒲田駅ビル西館7階の「銀座アスター」。予約をしておいたおかげで落ち着いた席を用意してくれていた。

伊藤さん(右)とは2年振り、相良君とは上の子が小学校に上がるか上がらないかの頃に、偶然、津南のスキー場で会って以来だから、なんと四半世紀振りくらいである。

伊藤さんと2年前に中学卒業以来初めて再会したのは、ある日、突然、彼女が私にメールをくれたのがきっかである。今回、相良君と再会できたのも、伊藤さんが相良君の実家に葉書を書いて連絡を取ってくれたおかげである。彼女の行動力に感謝である。

中学3年の同級生に誰がいたかを思い出そうとするのだが、なかなか名前が出て来ない(笑)。クラスといっても全員とまんべんなく付き合いがあったわけではなく、勉強系とか運動系とかヤンチャ系とかいったカーストというか階層というか、複数のグループに分離していたからである。私は勉強系に属してはいたが、級長(学級委員長)をしていたせいか(?)、同級生の顔と名前はけっこうよく覚えている。

相良君は高校は慶応に進んで、大学・大学院も慶応で、東京理科大の教員になった。私は勘違いしていて彼の専門は教育学と思っていたが、実は認知心理学だった。そしてこれも今日知ったのだが、10年ほど前に体調を崩して理科大を辞め、いまはいくつかの大学で兼任講師をしているとのこと。180センチの長身で高僧のような風貌になっていたが、笑い方は中学生のときとまったく変わっていなかった。

伊藤さんは高校は三田(都立)に進んで、大学は学芸大に進んだ。専攻は数学で、相良君の話す論理回路についての説明も私よりよく理解していた様子だった。2年前に会ったときより髪が長くなっていたのでそのことを言うと、「これはカツラよ」と言う。去年、大きな病気をされて、一時、髪が抜けたそうだ。それは知らなかった。きっとそういう経験が(も)相良君に連絡のハガキを出すという「思い立ったが吉日」的な行動と関係しているのだろう。

 

「桂花」という軽めのランチコースを注文したが、料理の写真は今日は省略。

歓談は2時間ほどに及んだ。

相良君から逗子の自宅の庭に出来たという柚子をお土産にいたただい。

この後、相良君は秋葉原に買物に、伊藤さんはご実家に顔を出すとのこと。

また会いましょう。伊藤さん、こういう機会を作ってくれてありがとうございました。

帰宅して講義資料の作成の続き。

夕食前に、昨夜収録した原稿の一部にミスを発見し、パート2を再収録する。

原稿の量は同じで、昨日収録したときは31分38秒だったが、録り直しの今回は31分44秒だった。二回目でほんの少し話し方にゆとりが出たのかもしれない。

夕食は鱈ちり(湯豆腐+鱈の切り身+葱)。久しぶりで美味しかった。

9時からオンラインでHさん(3年生)の卒業研究の仮指導。30分程度のつもりで始めたのだが、終わったのは10時半。普通に90分授業をしてしまった。

風呂を浴びて、『ジェット・ストリーム』を聴きながら、今日の日記とブログ。

1時15分、就寝。