フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月17日(水) 晴れ

2021-02-18 11:08:20 | Weblog

6時15分、起床。

今日は文学部の入試がある。そういうことでもなければ、こんな時間に起きることはない。

トースト、目玉焼き、ウィンナーとキャベツの炒め、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

7時半に家を出て、大学へ。

(大学にいる間のことは割愛)

午後5時過ぎに大学を出る。

地下鉄の駅までの道の途中にある「D-Style Tokyo」に寄っていく。テイクアウトがメインだが、イートインもできる店だ。

ケーキと紅茶と読書で一服。

「ピスタチオ」と名付けれたケーキをチョイス。トッピングされているのはイチゴだが、クリームにピスタチオが使われているのだ。

私が入ったとき店内には若い女性の二人連れの客がいただけだった。ずっと中国語で会話をしていた。

私の後に年配の男性の一人客が入ってきた。ケーキと紅茶のセットを注文し、英語と日本語の混在した新聞を読んでいた。

朝、家を出るときは、今日はもしかしたら夕方に大学を出るまでに『赤いモレスキンの女』を読み終えることもできるかもしれないと思ったが、実際には一頁も読めなかった。読もうと思えば数頁くらいは読めたかもしれないが、気ぜわしい気分で読みたくはなかった。店にいた時間は小一時間ほどだったが、くつろいだ気分で読めた。

6時に店を出て、妻に「帰りは7時頃」とLINEを送る。

7時ちょっと前に蒲田駅に着き、予告通り7時に帰宅。

夕食はカジキのソテー、サラダ、掻き玉のスープ(薬膳風味)、ごはん。

カジキのソテーは、素揚げした野菜がトッピングされていて、バルサミコに醤油を少し加えたソースがかかっている。妻がNHKの料理番組で覚えた新作である。彩りもきれいだ。

デザートはイチゴ。

食事をしながら『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』第6話(録画)を観る。「奈未(主人公)の来ているものがだんだん洗練されていっているわね」と妻が言う。そういわれればそんが気がする。田舎から出てきた女の子がファッション雑誌の仕事をしていくなかで自然とそうなっていくということだろう。

今日読んだ『赤いモレスキンの女』のページの中で一番印象的だったのは、主人公の書店主が、意識不明で入院中の女性の飼猫に餌をやるために彼女のマンションに入って、リビングの壁一面の書棚の中に、ソフィ・カルの『ヴェネチア組曲』の初版本を見つける箇所だっだ。

 「1980年、ソフィ・カルは純粋な芸術的試みとして、何人かの男のあとをつけることに決めた。偶然道で見かけた男を、私立探偵のようにこっそり尾行するのだ。彼女は長い散歩から男のモノクロ写真を持ちかえった。あらゆる場所で撮影した男の後ろ姿。午後の間ずっと尾行していた見知らぬ男。ある日のこと、ソフィは新たなターゲットを見つけるが、途中でその男を見失ってしまう。男は群衆の中へとまぎれ、消えてしまった。しかし、その夜、その男が再び市内のある夕食会に姿を現して、彼がもうすぐヴェネチアに行くことがわかる。彼女は秘かに男のあとをつけることに決めた。ヴェネチアの路地と運河の隅々までこっそり追跡するのだ。このヴェネチア遠征から、ソフィは百五枚のモノクロ写真と79ページの航海日誌を書き上げ、そこにジャン・ボードリヤールのあとがきが添えられた。ソフィの探索は、男が後ろを振り返り、彼女を認識し、声をかけた瞬間に終わりを告げた。」(106-7頁)。

ソフィ・カルの作品は原美術館で観たことがあり、そのとき2冊の著作を購入した。『局限性激痛』と『アドレス帳』だ。『赤いモレスキンの女』が『アドレス帳』からインスピレーションを受けていることは明らかだ。『アドレス帳』はソフィ・カルが偶然拾ったアドレス帳に記載されている人たちにインタビューをしてアドレス帳の落とし主の人物像を構築していく過程を書いたものである(当然のことだが、アドレス帳の落とし主との間でトラブルとなった)。モラルとか個人情報云々という問題はひとまずおくとして、ソフィ・カルの作品が人々を魅了してやまないのは、都市というたくさんの他者の人生が一瞬の交錯を繰り返している場所で、その偶然の邂逅を無機質のものにしないで、意味あるものとして人生の中にピン止めしようとする試みが行われているところにある。

『ヴェネチア組曲』が収められている本(中古)をネットで探して購入する。

風呂から出て、『オールナイトニッポン・ミュージック10』(水曜日のパーソナリティは名取裕子)を聴きながら、今日の日記とブログ。森山良子の『さとうきび畑』をフルバージョンで聴いた。

1時15分、就寝。