7時15分、起床。私にしては早起き。
朝食前にチャイを連れて玄関先に出る。ブロックの上にチャイを置くと、まるで狛犬のようにそこでじっとしている。私はチャイの頭や背中を撫でながら、近所の人と挨拶したり、通りがかりの人とおしゃべりしたり。これ、私が一人で玄関先にボーっと立っていたのではなかなか成り立たないコミュニケーションである。カフェとペットというのは私と地域社会のインターフェース(接点)として機能している。
チーズトースト、ハムステーキ、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
昨日のブログを書いてアップする。
オンデマンド授業のレビューシートのチェックをしながら次回の講義資料の準備。
アマゾンで玉袋筋太郎『美しく枯れる』(角川書店)のキンドル本を購入。先日、大学の帰りに書店で手に取って、面白そうだったので。
タイトルは上品だが、著者名は・・・。彼はたけし軍団の出身で、芸名は「殿」(北野たけし)からもらったものである。彼はこの芸名についてこんな風に語っている。
話は変わるのだけど、オフィス北野分裂後、オレがひとりで活動するようになってから、大師匠である毒蝮三太夫(どくまむしさんだゆう)さんが主催する「マムちゃん寄席」にゲストで呼ばれたことがあった。
博士(注・漫才コンビ「浅草キッド」の相方の水道橋博士)が隣にいないいま、俺はコンビで漫才ができない身だから、ステージでは蝮さんとトークショーをした。その日の楽屋で、オレはすでに80代後半を迎えている蝮さんとこんな会話を交わしたんだよね。
「もうすぐ90歳になるのに、いまでもずっと仕事が途切れないのはすごいですね」
そうしたら、蝮さんはこういったよ、
「それは、オレが《毒蝮三太夫》という名前だからだよ。本名の《石井伊吉》だったら、こんな年齢になったら仕事なんかあるわけないよ。だからオレを《石井》から《蝮》に変えてくれた、談志には頭が上がらないよね」
ご承知かどうかわからないが、「毒蝮三太夫」という芸名の名づけ親は談志師匠なのだけど(注:立川談志。『笑点』の初代司会者で、毒蝮三太夫は初代座布団運びだった)、この言葉にはしびれたね! 僭越ながら、殿から「玉袋筋太郎」と名づけられたオレは、蝮さんのことを勝手に“被差別芸名の同士”だと尊敬しているからさ(笑)。
だからオレも、蝮さんのように長い時間をかけて、“本物の玉袋筋太郎”になっていきたいって考えている。(第1章「人間関係って大変だよな」より)
しかし、同時に、彼は本書の別の箇所でこうも述べている。
50代を迎えてからというもの(注:彼は今年の6月で57歳になる)、「これからどう生きようか?」と柄にもなく真剣に考えるようになった。それまでの自分の仕事ぶりを振り返ってみたり、自分なりによかったところ、悪かったところを挙げてみたりした。
そのとき気づいたのだが、オレはよくも悪くも、「玉袋筋太郎」という芸名にとらわれ過ぎていたということだった。
殿からもらったこの名前、オレは本当に大好きだし、誇りにしている。厳格だった父親に「いい名前だな」って褒めてもらえたことは、死ぬまで忘れないよ。
コンプライアンス違反ギリギリの被差別芸名だからこそ、オレは無意識に「玉袋筋太郎っぽくふるまわなくちゃ」とか、「玉袋らしくしよう」という思いに支配されていた。そこには毒蝮三太夫さんへの憧れもあったのだけど、冷静に考えれば、「玉袋らしさ」ってなんだよ? 笑っちまうよな?
その「らしさ」もよくわからぬままに、「破天荒」とか「無頼派っぽく」とか、知らず知らずのうちに自己演出をしていたような気がする。でもさ、50代を迎えるとともに浅草キッドが開店休業状態になり、事務所からも独立してひとりでやっていくことになってみて、ふと気づいたんだよ。
「無理して玉袋筋太郎を演じる必要はないんだ」って。(第3章「夫婦ってなんだか難しい」より)
本書は公私にいろいろなことがあった50代を振り返って、「50代を生きるって、とても大変で、難しい」という感慨の上にたって、それまでの人生やこれからの人生について真摯に(実に真摯に!)語った本である。おそらくその真摯さは、彼の根っからの性分であると同時に、本書が無期限活動休止中の浅草キッドの相方(水道橋博士)や、事務所独立後いささか疎遠になってしまった殿(北野たけし)や、ある日突然家を出て行ってしまった妻へのメッセージとなっているからだろう。
昼食を食べに出る。
早く起きたせいか、いつもより空腹感がある。「寿々喜」へ行く。
午後はうまい物を食べて、面白い本を読む時間にしよう。
食事を終えて、店を出ると、早々に「本日は終了です」の貼り紙が出ていた。今日の分の鰻がなくなったのだ。
食後の珈琲は「テラス・ドルチェ」で。ここは私にとっては「物思いカフェ」(読書や書き物をするカフェ)なのだが、カウンター席に座った私に珍しくマダムの方から話けて来た。先だって、マダムがワンちゃんの散歩で私の家の前を通ったとき、私がたまたまチャイを抱っこして玄関のところにたたずんでいて(そういう状況は初めてのことだった)、おしゃべりをしたからである。しばしペットの散歩談義。
珈琲を飲みながら『美しく枯れる』の続きを読む。マダムはほかの常連さんとおしゃべりを始めた。
生きていると、大変なことがたくさん起こる。
「いっそ、死んだほうが楽じゃないのか?」と考えて――肯定こそしたくないものの、自ら命を絶つ人がいるのも理解できないわけじゃない。(中略)
あらためて考えるまでもなく、「この世は地獄だ」と落胆するほど、辛いことばかりじゃない。「生きていてよかったな」って感じる瞬間は、誰にだってあるじゃない。
そう考えると、この世ってのは、「地獄」というほど厳格で辛いものじゃなくて、看守の目が緩やかな刑務所のようなものなのかもしれない。
だけど、いくら緩やかな刑務所であっても、「やっぱりオレにここは無理だ。耐えられない」と“脱獄”していく人間もたくさんいる。うちの父親のように、自ら死を選ぶというのはこの刑務所からの脱獄を意味しているように思える。
若い頃から、「オレは50代で死ぬんだと」と公言して、バカみたいにタバコを吸って、浴びるように酒を呑んで早死にしてしまった西村賢太(注:芥川賞作家で玉袋の友人)もまた、ある意味ではこの刑務所からの脱獄を図ったひとりかもしれない。
でもさ、オレはいくら辛くてもここから脱出するつもりはない。いま現在が最高に楽しいというわけじゃないけど、“脱獄”することによって、残された者が辛い思いをすることを嫌といほど理解しているからだ。(第4章「新しい命と消えゆく命とともに」より)
この世を「看守の目が緩やかな刑務所」、自殺をそこからの「脱獄」と見る比喩はなるほどとと思った。ただし、自殺をする人は「残された者の辛さ」に思いを巡らす気持ちのゆとりを失ってしまっている(そこまで追い詰められている)のだろうから、その辛さを指摘しても自殺の抑制の効果はあまり期待できないのではなかろうか。とはいえ、父親の自殺や友人の慢性的な自殺行為を止めることのできなかった彼の辛さにはリアリティがある。
切りのいいところまで読んで店を出る。
帰宅して、夕食まで読書の続きと授業の準備。
夕食は手羽中のピリ辛ロースト、ベーコンと野菜の炒め、味噌汁、ごはん。
食事をしながら、『花咲舞が黙ってない』初回(録画)を観る。以前、杏主演で好評だったドラマの新シリーズ。主演は今田美桜。秋ドラ『いちばんすきな花』で存在感を示した彼女だが、ついにゴールデンドラマの主役になったか。小柄だが、目は人一倍大きい。おそらく杏の演じた「花咲舞」とイメージが違うという拒絶反応が一部から出るであろうが、それは想定内のこと。そういうノイズは気にしないで、今田美桜の「新・花咲舞」を演じて下さい。それにしても初回の舞台になった東京第一銀行羽田支店、立派なビルだったな。本店かと思った(笑)。
『美しく枯れる』読了。
玉袋筋太郎のいまのメインの仕事は、BS-TBS『町中華で飲ろうぜ』。また、一般社団法人「全日本スナック連盟」の会長をしている(「スナック玉ちゃん」のオーナーでもある)。「50代以降の人が抱える悩みなんて、ほとんどがスナックが解決してくれる」とまで言っている。私には信じられませんけどね(笑)。でも、「シングル・ミドル」にとってのサードプレイスの役割をスナックが担っていることは間違いない。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。