8時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
昨日のブログを書き始める前に少しお仕事。
昨日のブログを書いてアップする。
3連休の最後の月曜日。しかし、早稲田大学では今日は授業が行われている。「授業のある祝日」なのである。これは月曜日が祝日になることが多いので、暦の通り休んでいると月曜日に配置された授業の日数が不足するからである(1学期14回)。ゆずの曲に「月曜日の週末」というのがあるが、それと同じく「授業のある祝日」も不思議な言葉である。
昼食を食べに出る。
「吉岡家」に行く。近所のマンションの工事現場は今日は静かである。
『村上ラヂオ』第3巻を読み終わったので、黒井千次『老いのかたち』(中公新書 2010)を読み始める。黒井は1932年生まれのなので、この本が出たのは78歳のときである(書いていたのは70代半ばくらいか)。
たとえば、「隠居」という言葉は死語に近いものになった。昔はいかにも「ご隠居さん」という呼び方の似合う年寄りが見かけられたものだ。「隠居」とは戸主がその地位を家督相続人に譲って閑居する状態を指すのだから、核家族の増加など家族形態の変化により「家」の影が薄くなってしまった以上、「隠居」もまた生き残ることは難しかったのかもしれない。
いずれにしても、年齢相応に老いていくことの困難な時代が到来した。若さや体力ばかりが尊重され、歳にふさわしい生の形が見失われようとしている。幼年期や思春期や壮年期に、それぞれの季節にだけ稔る果実があるのだとしたら、老年期には老年の、老いに特有な美しい木の実があっても少しもおかしくない筈だ。そしてかつて存在した老いの形とは、その実を収穫するための身構えでもあったのだろう。
幼い孫を連れて遊びに来た息子や娘の一家を送り出す休日の夕暮れの光景は、平和で心和む眺めである。と同時に、ふとになにかの欠けてしまったような危うい気分を誘い出されるのは、そこに老いの形がはっきりとは認められぬ故であるような気がする。」(「崩れゆく老いの形」より)
ここで言われている「老いの形」とは「老いのモデル」というような意味だろう。「隠居」というモデルが失われたのは家族形態や家族制度が変化したからだが、一般に「老いのモデル」の喪失の原因は長寿化により「老人」である期間が非常に長くなったことが大きいだろう。70代、80代、90代、これらを一括りに「老年期」と呼ぶのは無理がある。健康度合いや家族状況がずいぶんと違うからだ。かつて「隠居」というモデルが現実的であった時代には、せいぜい70代くらいまでを考えていればよかった。それがいまや70代で亡くなると「少し早い死」と受け取られるようになった。70代くらいを念頭においた「老いのモデル」の耐久年数が現状に追いつかなくなったのである。
胡麻ダレ蕎麦とサイドメニューから焼きナスを注文する。
焼いてから皮を剥かれた茄子に薬味がたくさん載っている。蕎麦汁に浸けて食べる。
散歩日和なので、店を出て、池上の「ハナコーヒー」まで歩くことにした。20分くらい歩くことになる。
「ハナコーヒー」は「池上東電通り会」に属している。「東電」とは「東京電力」のことではなく「東急電鉄」のことである。東急池上線池上駅の近くにある商店街である。
「ハナコーヒー」に到着。
2階にある店舗から人の声が聞えて来る。これはもしかして・・・とても混んでいた。「年に何度あるか」という混み具合である。連休の最終日は地元のカフェでのんびりという人が多いのかしら。回れ右をして階段を下りる。
池上駅前商店街を歩いてみる。久しぶりに歩くと、見知った店がいくつかなくなっていた。
「コロラド」はチェーン店だが、昔からあり、「エノモト」がなくなった今となっては池上で最古参のカフェかもしれない。ドア越しに店内を覗くと、年配の男性客が多いようである。でも、煙草は喫えない。
商店街の外れの、かつて「バターリリー」というカフェがあった場所(よく来たものである)。その後にマドレーヌを専門とするカフェ(?)ができたが、結局、一度も訪れる機会のないままに閉店してしまった。
「ルージュブランシュ」のお店のラインがスマホに届いた。月曜は定休のはずだが、今日は連休の最終日ということで営業しているようである。顔を出してみよう。
我が家の近所のケーキ屋さんでイートインができる。席は空いているので入ることにする。
店頭にいらした店主の奥様にご挨拶。
イチジクのタルトと紅茶を注文する。
イチジクはやわらかくて甘みがある。
厨房からご主人が出てきて、しばらく(というか最後まで)おしゃべり。先日、店主さんのご出身である服部料理学校の服部幸應理事長がなくなったが、12月13日に増上寺で学校葬が行われるそうである。
帰宅してしばらく横になる。池上まで歩いて行ったが、帰りは電車に乗ったので、6千歩も歩いていないが、散歩の後は横になるのが一番。これも一種の「老いの形」といえるだろうか。
夕食は鶏肉団子汁、鮭、サラダ、鱈子と昆布の佃煮、ごはん。
デザートはシャインマスカット。
食事をしながら松下洸平主演のドラマ『放課後カルテ』初回(録画)を観る。大学病院の医師が小学校の保健室の医師として派遣されてくる。新しい試みだが、病院で何か事件を起こして、一種の左遷のような気配がある。不愛想このうえない医師を癒し系俳優のイメージが定着した松下洸平が演じるというギャップが面白いが、早くも初回で二人の生徒が彼に心を開いた。これからそういう生徒が増えていくのだろう。学校ものの王道的展開だが、そこに彼が病院で起こした事件(医療過誤?)がからんでくるところが新味か。
レビューシートのチェック。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
チャイ、ラジオのアンテナは登れませんよ。
1時、就寝。