フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月18日(金) 曇り

2024-10-19 11:30:27 | Weblog

8時、起床。

♪新しい朝が来た 希望の朝だ~という歌詞で始まる歌をご存知だろか。私はそれが『ラジオ体操の歌』という歌だとは知らなかった。タイトルは知らなかったが、その歌い出しの部分は記憶にはっきりと刻まれていて(私が生まれた頃にできた曲なのだ)、起床して、一階の雨戸を開けながら、あるいは仏花の水を替えながらときどき口ずさむ。なんという健康的な歌詞であることだろう。私がこの一節をよく口ずさむのは、目覚めの気分がこれとは真逆であるからだ。とても元気溌剌という感じでは起きられない。何度か深呼吸をして気息を整えていると、胸の奥の灯が少しずつ大きくなって、「うん、今日もやっていこう」という気持ちになって、ようやく起きるのである。朝の諸々のルーティンをこなし、朝食の支度が終わる頃には、少しはシャキッとするのである。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食(シャキッ!)。

朝刊に俳優の西田敏行さんの訃報が載っていた。通常の訃報欄ではなく、一面中央である。国民的俳優(渥美清や高倉健並み)の扱いである。つい最近までテレビに出演していたた印象がある(たとえば今年の冬ドラマ『さよならマエストロ』とか)。76歳は「少し早い死」だろう(虚血性心疾患とのこと)。ご冥福をお祈りします。

昨日、学会の機関紙の編集局から書評原稿の依頼のメールが届いた。すでに読んでいる本である。12月7日の締め切りで、2000字以内。すぐに返事を出してもよかったのだが、一晩おいて、お引き受けしますと返信する。

昨日のブログを書く。

11時半に家を出る。小雨が降っている。

 

11時半に研究室に到着。

3限の授業が始まる前にコンビニで買ったサンドウィッチを食べる。

さて、授業だ。金曜日は対面授業の日。3限の演習も4限のゼミも同じ228教室で行う。これはたまたまなのか、教室の移動をしなくてもいいようにそういう配置にしてくれたのか、どっちだろう。

3限の演習「現代人と孤独」は、青少年研究会(代表:浅野智彦)の行った「若者の生活と意識に関する調査」(2022~2023)のデータを元にディスカッション。ディスカッションを始める前に、2つのことに注意を喚起した。第一は、グラフや表の形で公表される統計データというものがそもそもどういう調査に基づいて出て来たものであるかを確認する習慣をもつこと。ネットに転がっている統計データの中にはどういう調査を行ってそういうデータを得たのかが不明なものが少なくない。パーセントとか、棒グラフで表現されるとそれだけで客観的なものだという素朴な思込みは禁物である。第二は、調査の分析結果をうのみにしないで、「そうかな」「別の解釈もできるんじゃないかな」と批判的にみる習慣をもつこと。「こういう結果が出た」(記述)ということと「なぜそういう結果が出たのか」(説明)ということは話は別である。同じデータを見ながら、違う説明や解釈が可能な場合は少なくない。大学の先生が書いているからといって「その通り」と思い込んではいけない。レポートやゼミ論・卒論でどこかから見つけて来た統計データをそのまま紹介してそれで何かを論じた気になっているケースはとても多い。

4限(5限まで延長)はゼミ論中間報告を3名。

 プロポーズにおける規範ーなぜ男性から女性にプロポーズすることが一般的なのかー

 現代における「かわいい」の多様化と社会的影響

 公園における犬を中心としたコミュニケーション

終了したのは6時をかなり回っていた。1時過ぎから6時過ぎまで、ノンストップで5時間の授業はなかなかきつい。

夕食は「ごんべえ」で。

今日は腹ペコなのでカツ丼セット(それほどでもないときは釜揚げうどんセット)。ペロリと平らげた。

食事をしながら『老いのかたち』の続きを読む。

 年齢についていえば、忘れられぬ出来事がある。「年齢のとなえ方に関する法律」なるものが定められ、1950年1月1日から施行された。それによって、従来の数え年による年齢の表示が満年齢に変えられた。このため誕生日まではほとんどの人が二歳若返った。当方は十九歳だったのが17歳に引き下げられた。折角成人に近づいたのに、となんとなく損をしたような気分を味わった。中年の女性などは得をしたと思ったろうか。
 当時は想像してみようともしなかったが、あの時の老人達はどんな反応を示したのだろう。若返りを喜んだのか、それとも年齢を奪われたと感じたのか。生きて来た時間そのものは同じ長さなのだから、これは数え方の変更に過ぎない。しかしもし自分がその時70代であったなら、積み上げた老いの時間をその分失った気がしたのではあるまいか。
 老いを重ねるにつれ、同じ一年にこめる思いの切実さは増すように思われる。(「齢重ねての誕生日」より)

 私は1954年の生まれなので、人生の途中で、数え年から満年齢への変化を経験したことはない。いわば満年齢ネイティブである。それはいまの学生もそうだが、彼らの中には「数え年」というものがどういうものか知らない者がいる。簡単にいえば、生まれた瞬間から1歳で(ゼロ歳という概念はない)、年を越す(正月を迎える)ときに1歳が加算されるという数え方である。だから12月生まれの子どもはあっという間に2歳になるのである。かなり違和感があるが(満年齢の感覚すると)、この違和感は年齢が上がるにつれて小さくなっていく。数え年のいいところ(?)はみんなが一斉に歳をとるということである。「あけましておめでとう」にはそういう意味合いもあったのである。満年齢に移行したことで、歳をとるということ、年齢が1つ増えるということが、個々人のイベントになった(誕生日の個人化)。誕生日を知らない人には「誕生日おめでとう」とは言えないが、LINEの通知で「今日は〇〇さんの誕生日です」と知らされることがある。でも、それを受けて、「誕生日おめでとう」のLINEを送ったことはない。

8時半頃、帰宅。

演習の受講生たちに発表スケジュール(修正版)とレポートの締め切りや文字数などについてメールで連絡。

レビューシートのチェック。

次回のオンデマンド授業の原稿のチェック。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。