フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月3日(月) 曇り

2025-02-04 11:21:02 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

朝ドラ、時は経ち、主人公は管理栄養士になって病院勤務になっている。すっかり仕事の出来るキャラになっている。朝ドラというのは基本的に主人公の成長物語だが、今回は成長の過程がカットされているように思う。

経済戦争が始まるのか。

昨日のブログを書く。

レポートを読む。

義母の四十九日の納骨の後で行く食事処の手配を義姉から頼まれて、横浜の天ぷら屋を予約する。義兄は美食家なので(食いしん坊ともいう)ランチの特上コース(8000円)にする。義姉は喪服でいくから個室がいいんじゃないかと言ったが、天ぷらを食べるのであれば、目の前で揚げているところが見られるカウンター席がいいですよ。

2時を回った頃、遅い昼食を食べに出る。運動を兼ねて池上まで歩いて行く。今日は曇天。

「ハナコーヒー」に行く。

先客は二組。お気に入りの席は埋まっていたので、中央に近いテーブル席に座る。

トマトとチーズのオイル焼き(ドリンクはアメリカン)を注文する。最近はこればかり(以前はたまごサンドばかりだった)。

マダムに「ソーセージを2本にしてもらったり、トーストを2枚にしてもらうという注文はできるのでしょうか?」と質問すると、そんな質問を受けたのは初めてのようで、マダムは一瞬「う~ん」と天を仰いで、「できませんが、一種の裏メニューとして検討してみたいと思います」と答えた。おそらくメニューは女性客を念頭においているので、育ち盛りの男子(?)にはボリューム的に物足りないときがあるのである。かと言って「お替り」を頼むのもお金がかかりますからね。

デザートにオランジェットを注文する。食事でお腹いっぱいにするのではなくて、食事+デザートというのがカフェの思想なのである。

ジェーン・ウォード『異性愛という悲劇』を読む。異性愛者は異性愛中心主義の社会における多数派だから、性的マイノリティ(クィア)が被っているような抑圧を感じないで済んでいるが、だからといって、異性愛者が性愛をめぐって何のつらさや抑圧も感じていないわけではない。「異性愛者もつらいよ」なのである。

「本書では、異性愛者はクィアよりも生きやすいという前提を考え直すべきではないか、という問題提起について論じていく。この問題提起をどう思うかと、レズビアンにしてフェミニストでもある同時代の研究者サラ・アーメッドに訊ねたら、異性愛規範がここまで続いてきたのも、異性愛が人々を幸せにし、クィアは困難と苦しみを生むという構図を先人から繰り返し聞かされてきたからだ、そこをよく考えるように、と助言をくれるだろう。クィアが異性愛の規範に組み敷かれ、苦しい思いをしているのは事実。ただ同時に、クィアであることの喜びや満足感、異性愛者でなくてよかったと安堵していることに目が向けられないのも事実。異性愛者であることのメリットについて述べた複数の言説を、さまざまな視点で分析してみると、信憑性や説得力の点で大きな差が見られる。これも事実。」(「第1章 異性愛を定義する」より

2月の営業日は変則である。18日から25日までお休みである。多分、旅行に行かれるのだろうと思って聞いたら、南の島に行かれるそうである。いいですねぇ。

店には1時間ちょっと滞在した。

帰りも徒歩で。

夕食までひたすらレポートを読む。

夕食は蓮根とほうれん草と玉子とベーコンの炒め、マグロのやまかけ、白菜の味噌汁、ごはん。

食事をしながら『クジャクのダンス誰が見た』第2話(録画)を観る。癖の強いキャラが揃っている。

レポートにはひとわたり目を通した。しかし、これで終わりではない(終りならどんなにいいだろう)。採点の基準をそろえるため(300以上あるので最初のころは試行錯誤的に採点し、だんだん基準が確立したのである)、最初からもう一度全体をザっと見直す作業がこれからまっている。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。