フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月20日(木) 晴れ、一時雨

2006-04-21 10:19:00 | Weblog
  自宅の玄関を出るとき道を歩いているご婦人と目があって、会釈をされたような気がしたので、会釈を返した。お顔は存じ上げないが、きっとご近所の方なのであろうと思った。門を出て、道を歩き始めると、少し前を歩いていたそのご婦人がこちらを振り返って「大久保先生でいらしゃいますか」と尋ねてきた。「はい、そうですが」と答えると、「実は私の妹が大久保先生の日記の読者で、先生のことは妹からよく伺っております」と言ったので驚いた。その妹さんというのは社会人入試で二文に入学し、教育学専攻の大学院に進み、最近修士課程を卒業されたとのことで、私の授業を受けたことはないが、私のブログを愛読されているのだという。ご婦人(お姉さん)はフィールドノートそのものは読んでおられないご様子だったが、内容は妹さんから詳しく聞いているようで、駅までの道すがら、「お父様はいかがですか」とか、「先生は本をたくさん買われるそうですが、全部ご自宅に置いておかれるのですか」といった質問を受ける。初対面という状況と質問内容とが日常感覚からするとアンバランスで少々面食らったが、ブログというものの特質(私は読者のことを何も知らず、読者は私の日常生活をよく知っている)を実感する面白い経験だった。
  シネスイッチ銀座で『寝ずの番』の11:15からの回を観る。監督はマキノ雅彦(俳優としての名前は津川雅彦。祖父のマキノ省三、叔父のマキノ雅弘に続くマキノ家三代目の映画監督デビュー作である)。映画は老落語家の臨終場面から始まる。一番弟子が師匠に最後に何か見たいものはないかと尋ねると、「外が見たい」と答えたのだが、そそっかしい弟子が「外」を「そそ」(京都の方言で女性の性器のこと)と聞き間違えて、とんだドタバタ騒ぎになる。以後、映画は終始、「死」と「性」をめぐって展開していく(師匠に続いて、一番弟子や師匠の妻も亡くなり、その通夜の席で、艶っぽい思い出話の花が咲く)。フロイト的に言えば、「死」と「性」は人間の二大衝動である。そしてどちらも近代社会では日常の場面に持ち出すことはタブーとされてきた。『寝ずの番』はそれを前面に押し出す。押し出し方によっては、いくらでも深刻になるし、下品にもなるところだが、『寝ずの番』はそうはならないようにという作意が一貫している。そこが粋であるともいえるし、小市民的であるともいえる。木村佳乃や富司純子といった美しく気品のある女優たちが「おそそ」や「ちんぽ」といった言葉を口に出すときの、かすかな緊張感は、スクリーンを通して場内に伝わり、一瞬の間を置いて、粋で小市民的なカタルシスとなって場内を充たすのである。
  映画館を出て、有楽町の駅に戻る途中の「天一」で昼食(かきあげ丼)をとってから大学へ。4限の時間に研究室で学生部の雑誌『新鐘』(10月に発行)のインタビューを受ける。今回の特集テーマは「働く」。私へのインタビューは「人はなんのために働くのか?」という素朴な疑問にライフストーリーの社会学の視点から答え下さいというのが趣旨である。ライターとカメラマンのお二人が来るものと思って待っていたら、学生部の職員(編集担当)とカメラマン助手の方もいらして、研究室の人口密度が一挙に高くなる。インタビューを受けている傍らでカシャカシャと写真を撮られるのでなんだか落ち着かない(カメラマンからはカメラを意識しないで下さいと言われるのだが、放送大学時代の癖でついついカメラ目線になってしまうのある)。予定の90分をフルに使って、一応筋のある話ができたかと思うが、ライターの方はこれからが一仕事である。ご苦労様です。
  5限は卒論演習(1時間延長)。五郎八で軽く食事(せいろ。天せいろではなくて)をして、7限は基礎演習。研究室で明日の授業の準備をちょっとしてから帰る。10時半、帰宅。風呂を浴び、夜食(コーヒーとハムトースト)を食べながら、録画しておいた『弁護士のくず』の2回目を観る。結局、トヨエツはかっこいい役なのだね。もちろんそれは最初からわかっていたが、もうちょっとかっこわるさを前面に出した演出をするのかと思っていた。疲れたのでフィールドノートの更新は明日にする。1時、就寝。
  

4月19日(水) 晴れ

2006-04-20 00:56:12 | Weblog
  午前中、久しぶりに研究ノートを更新。昼食(竹の子御飯と竹の子の味噌汁)を食べていたら、左下の奥歯の詰め物がポロリと取れてしまった。ちょうど蛍光灯の一本が駄目になると、他の蛍光灯も立て続けに駄目になるのと似ている。歯科医院に電話をすると、今日のうちに治療してもらえることになった。ただし午後3時半という時間指定である。そのため午後はジムないし映画館という計画は断念せざるを得なくなった。1時間半ほど昼寝をしてから歯科へ行く。詰め物が取れたところを少し削って、新たに型を取った後、応急処置の詰め物をする。1週間後にまた来なくてはならない。
  帰宅すると、玄関先に半飼い猫(半野良猫)の「なつ」がいた。私の顔を見て、ニャーニャーいいながら寄って来るので、冷蔵庫からハムをもってきて千切って与えた。足下に来たところをひょいと抱き上げてみたら、嫌がることもなく、喉をゴロゴロ鳴らした。ほとんど飼い猫である。ただし私以外の家の者が同じことをやろうとしても容易に捕まらないので、一応、相手を選んではいるようである。いい人というのは本能的にわかるんですね。なんだかムツゴロウ博士にでもなったような気分だ。
  パソコン向かって一仕事を始める前に、少しばかり甘味が欲しくなったので、コンビニに行って明治のストロベリーチョコレートを買ってくる。子どもの頃、不二家のルックチョコレートというのがあって(たぶんいまもある)、ストロベリー、パイン、バナナ、ナッツの4種類のクリームがサンドしてあるのだが、私はストロベリーが一番好きで、ストロベリーだけの商品があったらいいのにとずっと思っていた。だから会社は違うが明治のストロベリーチョコレートが発売されたときは嬉しかった。いまでも一番好きなチョコレートだ。
  夜、調査実習の報告書の正誤表の作成。あれだけ校正作業をやってもやはり誤字脱字というものはある。全部で13箇所。報告書は332頁だから、28頁に1箇所の割合でミスがある計算になる。まあ、編集の素人の仕事としては、こんなものであろう。さっそくメールに添付して学生たちに送る。印字して報告書に挿めば対象者に配布OKとなる。

4月18日(火) 晴れ

2006-04-19 07:24:12 | Weblog
  午前中の会議を終えて、研究室で雑用をしていたら、誰かがドアをノックした。「どうぞ」と言ったら、眼鏡を掛けた40歳くらいの男性が入ってきた。三谷幸喜にどことなく似ている。丸善か紀伊国屋の営業の人だったかなと考えていたら、「大久保さん、僕ですよ」と言ったので、今日からうちに社会統計学を教えに来て貰っている首都大学東京の助教授、稲葉昭英さんだと気がついた(ご、ごめん)。2限の授業を終えて挨拶に来てくれたのだ。椅子と冷たい麦茶を勧め、しばし雑談。彼とは彼が慶応大学の大学院生のときからの知り合いである。当時から頭が切れ、仕事ができ、そして少々口が悪かったが、それはいまも変わらない。どうか社会学専修の学生たちをビシビシ鍛えてやっていただきたい。それにしても、ますます三谷幸喜に似てきたな。
  午後1時から二文の社会人間系専修委員会。6名の学生のアドバイザーを引き受ける。それと卒論指導学生を1名追加(計4名)。午後2時から教授会。今日の教授会はいつにもまして長かった。延々6時間続いて、終わったのは午後8時であった。昨日から思い描いていた「教授会が夕方に終わり、シネスイッチ銀座に『寝ずの番』を観に行く」というプランはあっけなく崩れた。教授会が終わってから、遅くなりついでに研究室で雑用(演習用の名札などを作る)。大学を出たのは午後9時過ぎ。気がつくとケータイに妻からメールが届いており、父が38度の熱を出したので近所の医者に往診に来てもらったと書いてある。38度は80歳を越えた人間には高熱である。しかし、先日の40度に比べれば、それほどあわてることはないであろう。実際、帰宅すると父の話し声が聞こえたので、大丈夫だと思った。怖いのは熱そのものよりも痰が喉にからむことである。そうなると家族は夜中眠れない。でも今回はその心配はないようだ。熱も私がメールを受け取ったときよりもいくぶん下がりかけている。母に心配ないからと言って、二階に上がり、風呂を浴びる。調査報告書の最終チェック(正誤表の作成)のメールをまだ送って来ない学生が何人かいるので、催促のメールを出す。返信を待ちつつ、フィールドノートを書いていたが、今日は疲れたので更新は明朝することにして寝ることにした。  

4月17日(月) 晴れ

2006-04-18 00:45:34 | Weblog
  ゆずの歌に『月曜日の週末』というのがある。不思議なタイトルだが、私にはこの感覚がわかる。私は土曜日は休日ではない。講義が2コマある(昨年度は3コマもあった)。その代わり、というわけではないのだが、月曜日は大学に出なくてよい。だから日曜日と月曜日、この2日間が私にとっての週末なのである。
  午前10時に予約をしていた近所の歯科に行く。左上の奥歯のレントゲンを撮る。歯根の周辺にとくに炎症らしきものはないが、親不知が浅い場所にあってそれが奥歯を押している可能性はあるという。「それと大久保さんは歯を食いしばる癖はありませんか?」と言われた。奥歯の横の頬の内側によく歯を食いしばる人に特有の瘢痕が出来ているとのこと。長時間パソコンの画面を見ている人に多い癖らしい。し、知らなかった。もし手元に「へぇ~」ボタンがあったら連打するところだった。確かに私は毎日長時間パソコンの前に座っている。しかし、と私は思った、歯を食いしばる癖は子供の頃からのものであろう。私は人前で涙を流さない子供であった。辛いとき、悲しいとき、私は歯を食いしばって耐えてきた。じっと我慢の子であった(ある年齢以上の人にしか通じないフレーズか)。そうやって生きてきたツケが、いま、左上の奥歯の痛みとして回ってきたのであろう。人生の痛みなのだ(と勝手に物語化してみる)。とりあえず左上の奥歯の負担を緩和するべくかみ合わせの部分を少し削って、様子を見ることになった。
  歯科から戻り、録画してあったTVドラマ『医龍』の初回を観る。劇画タッチの病院ドラマで、昔、織田裕二が主演したTVドラマ『振り返れば奴がいる』を彷彿とさせるところがある。稲森いずみが野心家の外科の助教授を演じている(!)。かなり無理があると思うが、応援しないわけにはいくまい。来週も観ることにする。
  昼食をとりがてら散歩に出る。やぶ久の日替わりランチ(天丼ときつねうどんのセット)。天丼、きつねうどんとも単品のものより小振りで、一緒に食べてちょうどよい分量。旨かった。電車に乗ってひとつ隣の川崎まで散歩の足を伸ばす。さくらやとヨドバシカメラでモバイルパソコンを見て回る。実際にさわってみたが、VAIOかFMVかまだ決めかねている。あおい書店で、マーク・カランスキー『1968 世界が揺れた年』前編・後編(ソニーマガジンズ)、宮沢彰夫『「資本論」も読む』(WAVE出版)、竹内洋・佐藤卓己編『日本主義的教養の時代』(柏書房)を購入。領収証(10815円)をしっかりもらう。いつもなら一般の書店で本を購入したときはレシートも捨ててしまうのだが、今年度は科研費が150万ほど下りることになったので、本代は全部領収証をとっておくことにするのだ。東急ハンズを覗く。店内を見て周りながら、「あれ、意外に高いな」と感じたのは、無印良品と勘違いしていたからである。4月始まり来年3月までのカレンダーを売っていたので購入。すでに手帳の方はずっと以前から3月まで記入できるタイプのものを使っているが、カレンダーは1月から12月までのものを使っている(というか、そういうタイプしか見たことがなかった)。これで手帳とカレンダーが同じコンセプトで揃ったわけだ。喉が渇いたので、サブウェイでメロンソーダフロートを注文したところ、氷の入った透明なコップとカップ入りのアイスクリームを渡されたので驚いた。自分でメロンソーダーを機械から注ぎ、そこに自分でアイスクリームを載せるというシステムである。完成品でなく部品を渡されて自分で組み立てなさいというわけで、通りで290円と安価なわけだ。でも、どうせならサクランボも一個付けてほしかった。駅構内の売店で川崎大師名物の葛餅を家族の土産に買って帰る。
  川崎から蒲田に戻ってみると、蒲田駅前のレトロな感じが印象的である。川崎は川崎、蒲田は蒲田。蒲田は「三丁目の夕日」路線でいけばいいのではなかろうか。ビルとビルの間の小さな路地に私が子供の頃からやっている豆屋さんがある。調理した豆ではなく、大豆や小豆などを量り売りする店である。店番のお婆さんが横を向いているスキに鳩がやってきて商品をついばんでいる。ディスカウントチケット店で映画『寝ずの番』のチケット(千円)を一枚購入。今日、やぶ久で食事をしながら読んだ『週刊文春』のシネマ評で☆印が多かったので。シネスイッチ銀座でやっている。明日、教授会が夕方までに終わってくれたら、観に行くことにしよう。夜、食後に葛餅を食べてから、TVドラマ『トップキャスター』の初回を観る。まったくの期待外れ。いくら天海祐希と矢田亜希子が出ていても、こんな脚本では、とても観る気にはなれない。

  今さら遅いとか 早いとか 言わない方がいいんだけど
  あえてあからさまに曖昧にどっちでもいいと言ってくれ
  雨が強くて よく晴れてたっぽい 月曜日の週末は
  あからさますぎて大事な事がわからない
  そんなことはよくある話だと君は笑うかもしれないけれど
  いつも僕は考えこむのさ ずっと
                     ゆず「月曜日の週末」

4月16日(日) 小雨、午後に上がる

2006-04-17 02:10:31 | Weblog
  朝7時起床、日曜日なのに早すぎる。習慣で目が覚めてしまうのだ。授業日誌の更新をしてから、朝食(バタートースト、紅茶)。新聞の書評欄を読んでから、もう一眠り。昼食は豚シャブ(昨日の我が家の夕食の残り)。
  朝から降っていた小雨が止んだので、散歩に出る。ラオックスでモバイルパソコンの使い心地を試してみる。VAIOのキータッチはなかなか快適。しかし、いかんせん蒲田のラオックスはモバイルパソコンの展示商品が少なすぎる。比較検討の対象であるFMVが置いてなかった。有隣堂で、先日亡くなった絵門ゆう子さんの本を2冊、『がんと一緒にゆっくりと』と『がんでも私は不思議に元気』(共に新潮社)、中村うさぎ『私という病』(新潮社)、小倉千加子・中村うさぎ『幸福論』(岩波書店)を購入。
  帰宅して、録画しておいたTVドラマを2つ、「弁護士のくず」と「クロサギ」を観る。評価は微妙。5点満点で3.5点というところか。どちらも相手(裁判の相手、ターゲットになるプロの詐欺師)がいまひとつクレバーでないのだ。その程度の戦略・作戦で勝ててしまうような相手なのかと。だから主人公が勝ってももの足りなさが残るのだ。それと、「クロサギ」の主人公は高校生のときに父親が詐欺にあって一家心中をして自分だけが生き残ったという暗い過去をもっているのだが、何度もフラッシュバックされる凄惨な心中場面と現在の彼の詐欺行為の軽妙さがいかにも不釣り合いなのだ。豊川悦司の演技力の分だけ「弁護士のくず」の方が面白い。「クロサギ」は見切り、「弁護士のくず」は来週も観ることにする。
  夜、絵門ゆう子『がんと一緒にゆっくりと』を読む。フィールドノートを書きながら、たまに考えるのだが、もし自分が癌になったら、あるいは妻がそうなったら、自分はフィールドノートにそのことを書くだろうか。そしてフィールドノートを書き続けるだろうか。無理なような気もするし、そうでもないような気もする。自分と妻の場合とでは違うだろうという気もするし、同じだろうという気もする。結局、そういうことはそのときになってみないとわからない。世の中にはたくさんのブログがあるわけだが(このgooブログだけでも50万もある)、そうした事情で更新が停止したブログもあるはずだし、そうした事情で闘病日記や看病日記に様変わりしたブログもあるはずである。ブログと実生活の関係を考える上で、重要な視点のような気がする。「あとがき」の中で絵門さんはこう書いている。

  「病気になったら病気を治すことに集中し、治療に専念し復帰を目指す。これは一つの方法だろう。でも、病気になっても病気を忘れ、生きるという使命感を持てることに向かっていく。これも一つの方法だと私は思う。
  がんだと言われてから入院するまでの私は前者だったが、原稿に向かうようになってから後者になっていた。乳がんと付き合い始めてからのことを書きながら、自分ががん患者であることを忘れて夢中になっている時が多かった。夢中になれたことは、私の免疫力を上げたと思う。がんのことを考えるのは、中村先生の診察を受ける時だけでいい。生かされている自分がやることは、がんについて悩むことではなく、私ができることに我を忘れて向かっていくこと。一年間、日々原稿に向かったことは、私にとっての心のリハビリになっていた。」