フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月22日(月) 晴れ

2010-02-23 09:48:50 | Weblog

  8時半、起床。9時半に予約している歯科医院へ。新たに発見された上の前歯の虫歯の治療。ちょっと掘って埋めるだけ。型を取って被せる必要はないので、治療は一回で終了。親不知を抜いた際の歯茎の傷はだいぶ修復されてきたとのこと。
  帰宅して焼そばの朝食。某学会の研究活動委員の先生から電話がかかってきて秋の大会のシンポジムでの報告を依頼される。「えっ、そのテーマでですか?」というようなテーマで、驚いたが、他の2人の報告者(交渉中)の名前を聞いて、リンクはできそうな気がしたので、引き受けることにした。問題は準備の時間で、夏休みは放送大学叢書の仕事を入れてしまったので、報告の準備は夏休み前にあらかた済ませておく必要がある。いまからコツコツやればできるだろう。
  昼食は母が作った赤飯。友人の家に持っていくのに炊いたもののお裾分けである。赤飯はそのときによって出来不出来があるが、今日のは上手い具合に炊けている。我が家では私と息子が赤飯好きなのである。


毛づくろいをする小雀

  今日はジムに行くつもりであったが、タイミングが合わず、断念。明後日の男女平等推進区民会議のための資料の作成。東京都の他の区のプランの状況を委員で分担してリサーチしている。私が担当したある区は、プランそのものは立派だが、進捗状況の報告も点検も行われていない。典型的な「絵に描いた餅」である。区民会議の記録がHPに載っていないので、担当課に電話をして聞いてみたところ、今年度は区民会議は一度しか開催されておらず、議事録も公開していないとのこと。あきれたものである。区によってだいぶ温度差がある。大田区の場合は区民会議はほぼ毎月開催されているが、ここでの議論がプランの策定や遂行に反映されないのであれば、年に一回しか開催していないところと実質的には同じになってしまうので、ここしばらくが頑張りどころである。
  夕方、資料を鞄に入れて散歩に出る。「グッディ」でチーズケーキと珈琲のセット。三階のフロアーは混んできたときだけ使われるようで、薄暗かった。


看板に電気が入る


夜の小学校の教室を思い出す

  有隣堂で以下の本を購入。最初の2冊は反「勝間和代」本である。もう1冊は「勝間和代」礼賛本である。加熱と冷却はメディアの2つの機能である。

  香山リカ『くらべない幸せ』(大和書房)
  大美賀直子『サイボーグを目指さないことにした、働く私の「自分時間」』(明日香出版社)
  内藤みか『夢をかなえるツイッター』(技術評論社)


2月21日(日) 晴れ

2010-02-22 02:18:18 | Weblog

  8時、起床。朝食は釜揚げシラスの茶漬け。軽めのご飯にたっぷりの釜揚げシラス。熱湯を注いで、醤油を垂らし、ズズッとかっ込む。う、うまい。
  今日は自宅でだらだらと過ごす。外出しなかったので髭も剃らなかった。昨日も剃らなかったから顎を手でなでるとジョリジョリする。
  昼頃、風呂釜の修理の人が来る。昨日から機能が停止しているのである(うちには1階と2階に風呂があるので、昨日は1階の風呂に入った)。自宅を新築して10年が経過し、あれこれメンテナンスが必要な時期なのだろう。修理して延命するのではなく、風呂釜は新しく買い換えることにした。工事費込みで30万円ほど。う~む、贅沢をしなければ東京で一家4人が一月は暮らせる金額だ。
  昼食はポトフとトースト。山口瞳『行きつけの店』(新潮文庫)を読む。単行本が出たのは15年ほど前で、そのとき購入しているのだが、文庫本には文庫本の味わいがある。私にも「行きつけの店」と呼べる店はいくつかあるが、この本を読むと、うっかりそういう言葉を使いにくくなる。年季が違うし、レベルも違うのだ。

  「小泉信三先生は、隅田川の川開きの日に、桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭円生の三人を柳島の亀清楼へ招んで落語を聞き、みんなで花火を楽しまれたという。そのとき、志ん生は大津絵を歌った。すると、小泉先生は、いつも涙を流されたそうだ。風の強い寒い日に、火消しの女房が出かけてゆく夫の身を案ずるという歌であって、その歌いだしは「冬の夜に風が吹く」である。まことに哀れ深い歌であるが、これはどうしても志ん生でなくてはいけない。/私は、その志ん生を神田川(鰻屋)へ招んだことがある。やっぱり暑い日だった。志ん生は脳溢血で倒れて、もう、寄席へもホール落語へも出られなくなっていた。志ん生は、親類の女性に負ぶさって出てきたが、そのとき、「こんなになっちゃって・・・」と笑った。泣き笑いの顔だった。それが、実に可笑しいのである。私は、笑っていいものかどうかわからなくて、困った。」(72頁)

  すごいでしょ。・・・といっても文楽、志ん生、円生の名を知らない世代にはピンと来ないかもしれない。たとえば、私が、「甘味あらいに小雪を招んで、一緒に贅沢あんみつを食べた」と書いたら、「すごい!」と思うでしょ。その何倍もすごいのである。

  「私は、寿司政へ行くと、いつも、中トロとアナゴを握ってもらう。それでカンピョウの海苔巻きを食べるとオシマイだ。あれも食べようこれも食べようと思って出かけるのだが、いつでもそうなってしまう。この、アナゴがいい。甘からず辛からず、とろけるようだ。アナゴとかカンピョウとかは、職人の腕の見せ所ではないだろうか。」(89頁)

  私にはこの真似はできそうもない。なぜなら私はお酒を飲まないから。お酒を飲む人は、寿司屋でまずは刺身をつまみつつ酒を飲み、しかるのちに何かを握ってもらう。だから中トロとアナゴとカンピョウ巻きで「ごちそうさま」と言えるのだ。こっちはいきなり握ってもらうわけだから、どうしてもガツガツしてしまう。ゆとりに乏しい。

  山口瞳は成人の日の新聞に長いことサントリーオールドの広告を書いていた。その一例が載っていた。酒場での立ち居振る舞いについて書かれたものだ。

  「今年は酒場のことを教えよう。/酒場へ行くなら、超一流の酒場へ行き給え。安っぽい酒場で飲むな! 超一流というのは「いわゆる銀座の高級酒場」のことではない。/まず、カウンターのない酒場は失格だ。できれば、カウンターがあって、そこで立って飲ませるような酒場を選び給え。若いんだから、立って飲め。/六時開店、十一時閉店という店がいい。終電までに帰れ。タクシーで帰宅するのは二十年早い。/ママさんが美人でスター気取りであるような店は避け給え。バーテンダーは無口なのがいい。/「金を払っているのだから何をしてもいい」と思っている客は最低だ。だけど超一流の酒場へ行っても怖気づくな。なぜならば、きみは「金を払っている客」なのだから・・・。正々堂々、平常心でいけ! 目立ちたい一心で、隣の客に話しかけたりするな。/キチンと飲み、キチンと勘定を払い、キチンと帰るのを三度続ければ、きみは、もう、超一流の酒場の常連だ。立派な青年紳士だ。店の方で大事にしてくれる。(以下略)」(52-53頁)

  私は酒を飲まないけれど、ここに書かれていることは、酒場だけではなく、食べ物屋一般にあてはまるように思う。最後のところの「店の方で大事にしてくれる」というのは言いえて妙である。「行きつけの店」という言葉から私が連想する店は、どこも、勘定を支払うときに、「いつもありがとうございます」と言ってくれる。ただし、チェーン店は「ありがとうございます」としか言ってくれない。「いつもありがとうございます」という言葉はマニュアルにないのだろう。

  「読者にお願いがある。どうか、自分の行く店を紹介しただけのものと思わないでもらいたい。私は、旅館、料亭、小料理屋、酒場、喫茶店などは文化そのものだと思っている。そこで働く人たちも文化である。私自身は、そこを学校だと思い、修業の場だと思って育ったきた。読者もここで何かを学んでくれたら、こんなに嬉しいことはない。」(259頁)


2月20日(土) 晴れ

2010-02-21 01:35:02 | Weblog

  9時、起床。釜揚げしらすとご飯の朝食。今日はよい一日(グッディ)だった。
  昨夜、寝る前に、Nさんに結婚おめでとうのメールを出した。そのとき3つの質問をしたのだが、お昼頃、Nさんから返信のメールが届いた。ひとつひとつの質問に丁寧に答えてくれて、たぶん今日の午前中の時間の大半を使われたのではなかろうかと思う。Nさんと最後に会ってからずいぶんと時間が経っているが、その時間的な空白がいっぺんに埋まったような気がした。
  昼食をとりに外出。「オレンチーノ」で味噌煮込みうどん(牡蠣入り)を食べる。卓上の器に入っているキムチを炒ってふりかけ状にしたものをスプーンに2杯ほど入れて食べると味わいが一層増す。
  店を出て、駅前の商店街を奥の方へ歩く。実は、昨日、ジムから帰ってきたとき、家の鍵をどこかに落としてきたことに気づいた。さっそくジムに電話をしてロッカールームを探してもらったが鍵はなかった。ならばジムの後に立ち寄った「シャノアール」で落としたに違いないと、「シャノアール」の本社に電話して蒲田店の電話番号を教えてもらい(HPには電話番号が載っていなかったのだ)、問い合わせたところ鍵の忘れ物はありませんと言われてしまった。ジムでも喫茶店でもないとすると、道を歩いているときに落としたことになるが、普通に歩いていてジャンバーのポケットから鍵が落ちるとは思えない。そのとき、「あっ、もしかしたら」とひらめいた。昨日のブログに写真が載っているが、商店街を歩いてきているとき、一度だけ、電器屋さんの店先で立ち止まり、テレビのニュースの映像をデジカメで撮った。そのデジカメをジャンバーのポケットから取り出すときに、鍵がポケットからこぼれ落ちたのかも知れない。店先に鍵が落ちていれば、店の方が拾って(あるいは誰かが拾ってお店の人に渡して)保管してくれているかもしれない。そう考えて、その電器屋さんに行ってみた。そうしたら、思ったとおり、私の鍵を保管してくれていたのである。私は散歩をしていてよく物を忘れる。つい先日はマフラーを道に落とした。その前は釜飯の「梅Q」にショルダーバッグを忘れてきた。動物病院に傘を忘れてきたり、「中華つけ麺大王」のカウンターの下の棚に『清水幾太郎著作集』を忘れてきたこともあった。そしてそれらはことごとく私のところに戻ってきたのである。忘れ物や落し物が戻ってくるというのは、たんに私の運がいいというだけではなくて、街の住人がよいからではないかと思う。いや、落としたものがお金だったらそうはいかないという人もいるかもしれない。実は私は大学生の頃、アルバイトをしていた塾からの帰り道、自転車に乗っていて、その日もらったばかりの給料が入った封筒を落としてしまったことがある。これはだめだろうと思いながら、一応、警察に届けたところ、その日の夜に警察から自宅に電話があって、落としたお金が見つかった(拾って届けてくれた人がいる)と知らされた。蒲田の街は失くしたものと再会できる街なのである。
  今日はよい日だ、と私は思い、「グッディ」に行くことにした。「グッディ」は駅の近くのビルの2階にある創業30年のレトロな喫茶店である。珈琲は美味しいが、店内が少々狭いので、めったに行かないのだが、実は狭いというのは私の誤解で、店内の階段を上ると3階も客席になっていて、そこは2階よりも広いということを今日初めて知った。私の中でにわかに「グッディ」の株があがった。今度はランチタイムに来てみたい。

  帰宅してからネットで「グッディ」のことを調べていたら、「悪あがき女製作所」という風変わりな名前のブログを発見。そこに「グッディ」のことが魅力的な写真と一緒に紹介されていた。管理人の「きみまつ」さんは蒲田在住(たぶん私とは反対の東口方面)の方のようで、蒲田周辺の美味しい店を熱心に探訪されている。思わず、長居をして、そこで紹介されている店(知っている店も知らない店もある)を見て回った。このブログの存在を知ったことも今日がよい日である理由の1つである。


2月19日(金) 晴れ

2010-02-20 13:25:07 | Weblog

  8時、起床。炒飯の朝食。9時半に家を出て大学へ。10時半から教授会。通常は教授会は毎月第三水曜日の午後と決まっているのだが、入試シーズンは回数も多く、曜日や時間帯も不規則である。教授会が終ったのは1時近かった。昼食は「メーヤウ」でとる。ひさしぶりで食べたポークカリーは辛さがアップしているように感じた(実際にはアップしてないと思います)。


ライスは普通盛、ラッシーは必ず注文する

  教員ロビーのメールボックスに卒業生のNさんから葉書が届いていた。一文の人文専修の学生だったが、私が卒論指導を担当した。卒論の正確なタイトルは忘れたが、倉本聰の『北の国から』を素材にしたものだった。出身は北海道ではなく長野だったと思う。97年3月の卒業だから、卒業後14年が経過し、いま30代の半ばである。私が早稲田大学に赴任して間もない頃に教えた学生の一人である。葉書には去年の4月に13年勤めた会社を辞めて独立したこと、12月に長くお付き合いされていた方と結婚したことが書かれていた。城山三郎の言い方を模倣すれば、「そうか、君はもう独身ではないのか」である。淋しい限りである(笑)。でも、おめでとう。
  帰宅し、一服してから、ジムへ行く。60分のウォーキングで500キロカロリーを消費する。「シャノアール」でレモンスカッシュを注文して本を読む。商店街を歩いていたら電器屋さんの店先のTVで、メジロ17羽を捕獲して自宅で飼っていた69歳の男性が鳥獣保護法違反の疑いで書類送検されたというニュースをやっていた。メジロは申請すれば一世帯1羽なら飼ってもいいことになっているが、17羽とはね・・・。それはいかんだろ。ちなみに雀は申請しても飼えないことになっている。私? 飼っているわけではなく保護しているのである。空に放しても戻ってきてしまうのである(ホントだよ)。


このニュースに足を止めているのは私ひとりだった

  夜、2月5日に放送されたのを録画したおいて藤田まこと主演のドラマ『剣客商売スペシャル 道場破り』を観る。まさか彼の遺作になるとは思わなかった。藤田まことといえば「必殺シリーズ」の「中村主水」だが、私にとっては、その前に、『てなもんや三度笠』の「あんかけの時次郎」であり、「あたりまえだのクラッカー」である。当時、前田のランチクラッカーにはコンソメスープ(固形)が付いていて、それを熱いお湯でカップに溶いで、クラッカーと一緒に食すというのは、小学生のおやつとしてはとてもハイカラなものだった。


2月18日(木) 晴れ

2010-02-19 02:36:56 | Weblog

  8時、起床。久しぶりの太陽。目玉焼き、トースト、紅茶の朝食。


一週間のごぶさたでした(本当は10日間だが、玉置宏さんへの哀悼の気持ちを込めて)

  アマゾンで注文した坂本冬実のCDアルバム『Love Songs』が届く。紅白歌合戦で彼女が歌った「また君に恋してる」はあの日歌われた曲の中で一番よかった。ビリーバンバンの曲のカヴァーだが、丁寧に、情感を込めて歌って、彼女自身の歌にしていた。

  ♪いつか風が散らした花も 季節めぐり色をつけるよ
    また君に恋している いままでよりも深く
    まだ君を好きになれる 心から

  先日、録画したままでしばらく放っておいたTVドラマ『そうか、もう君はいないのか』を観た。城山が妻を亡くしたときのことを書いた小説が原作で、田村正和と富司純子が夫婦役をしていた(回想の中で若い頃の二人を中村勘太郎と長澤まさみが演じていた)。家の中で、ふと妻の名前を呼んで、返事がなく、その静寂の中で、「そうか、もう君はいないのか」と呟くシーンは、妻に先立たれた男の深い孤独を表現して余すところがなかった。このドラマを観終わってから、元々好きだった「また君に恋してる」がいままでよりも深く好きになったのである。最近、気がつくと、この歌を口ずさんでいることがよくある。

「また君に恋してる」(ビリーバンバンで)

  午後、川崎のチネチッタに『ゴールデンスランバー』を観に行く。原作は2008年の本屋大賞を受賞した伊坂幸太郎の同名の小説で、私はすでに読んでいた。あの作品を2時間によくぞまとめたものだが、当然のことながら、切り捨てた部分もあり、そのため、(小説を読んでいない人には)説明不足の部分もあった。私の後ろのシートに座っていた男子高校生2人は、「悪者の正体はわからないままなの?」と感想を語っていた。そう、わからないままなんだよ。というか、主人公を罠にはめて無実の罪に陥れようとしていたのは特定の悪者というよりも、社会システムに内在する邪悪な力そのものだと考えた方がよくて(その方が不気味でしょ)、それに抵抗して主人公の逃亡をサポートするのがしっかりと制度化されたレジスタンスの組織ではなくて、信頼をベースにした人々のゆるいつながりであるというところが面白いわけよ、と心の中で講釈する。それにしても、最後、整形手術を受けた主人公役が『クライマーズ・ハイ』で堺雅人の同僚の新聞記者役だった滝藤賢一とは・・・。あの新聞記者は飛行機の墜落現場の惨状を見て精神に異常をきたして最後は交通事故で死んでしまうのである。そのイメージがあるので、整形手術を受けた主人公がこれからの新しい人生をちゃんと生きていけるのか、大丈夫なのか、と不安になってしまった。

  夕食は、母と妻と三人で「梅Q」の釜飯。母は一人前は食べられないので、蟹釜飯と五目釜飯の2つをとって、サイドメニューで焼き鳥を注文した。それと茄子の浅漬けと味噌汁(とうふ、なめこ)。