フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月24日(水) 晴れ

2010-11-25 01:59:14 | Weblog

  9時、起床。朝鮮半島で勃発した武力衝突のニュースで気分が重い。1953年、私の生まれる前年に最後の砲撃戦があって以来のことである。戦後65年という言い方をわれわれはしているが、いつのまにか戦前になっていやしないのかという思いにときどき捕らわれる。いまが戦前かどうかは戦前にはわからない。それはあとになって、つまり戦中や戦後になって認識される時代カテゴリーである。
  朝食はとらず、11時に家を出て、大学へ。スロープから中庭にかけて白いフェンスが設置された。フェンスの右側が工事車輌の通る道、左側が一般通路である。中庭がフェンスで囲われるのはもう少し先である。樹木にお別れを言うならいまのうちである。

  教務室で弁当を食べてから、12時半からの外国人入試の面接に臨む。2時間ほどで終了。4時半から基本構想委員会。6時過ぎまでかかる。7時から教務戦略会議。デリバリーのお寿司を食べながら、10時頃までやる。11時、帰宅。明日の講義の準備をすませてから風呂に入る。


ごぶさたしております


11月23日(火) 晴れ

2010-11-24 15:59:26 | Weblog

  8時半、起床。祝日だ。う、嬉しい。教務になってよかったことの1つは、祝日を心から祝えることだ。ドライカレーの朝食。食後の口直しにクッキーと紅茶。

  今夜は大隈講堂で『ノルウェイの森』の完成披露試写会があった。教務になってよかったことの1つは、招待券をいただけたことだ。1階G列16番。前から7列目の中央の席だ。右隣は岡部先生、左隣は小林先生である。6時半から監督・出演者の舞台挨拶(司会はフジテレビの笠井アナウンサー。この人は商学部の出身である)。監督のトラン・アン・ユンは『夏至』や『青いパパイヤの香り』などの作品で有名なヴェトナム系フランス人で、挨拶はフランス語だった。以下、松山ケンイチ(ワタナベ役)、菊池凛子(直子役)、水原希子(緑役)、高良健吾(キズキ役)、霧島れいか(レイコ役)、初音映莉子(ハツミ役)、玉山鉄二(永沢役)の順に挨拶が行われた。
  小説『ノルウェイの森』は、好きな作家の、しかし、それほど好きではない作品である。私は村上春樹の作品はデビュー作の『風の歌を聴け』からほぼ出た順に(出た直後に)読んでいるのだが、『ノルウェイの森』は村上春樹の作品のような気がしなかったというのが当時(1987年)の印象である。村上自身は『ノルウェイの森』をリアリズムの手法を用いて書いた恋愛小説と位置づけていて、作家としての成長の過程での重要な位置付けを与えられている作品であるわけだが、私にはリアリズムという言葉がピンと来なくてたんに世俗的という印象を受けた。そして世俗的な恋愛小説なら当時はたくさんあって、というよりも、日本の作家たちが伝統的に得意としてきた分野であって、わざわざ村上春樹が足を踏み入れる場所ではないのではないかと思ったのである。というわけで、小説『ノルウェイの森』は23年前に一度読んだだけで、どんな話であったか、細部まではちゃんと覚えていない。今回の試写会に合わせて再読してみようかとちょっと考えたが、これまでの経験から、原作(小説)と映画を比較してもよいことはあまりないので、原作のことは忘れて、映画『ノルウェイの森』を観よう思った。
  公開前の映画なので、内容についてあれこれ述べることはさしひかえようと思うが、映画『ノルウェイの森』は映像詩のような作品であった。登場する男女がなぜそれほど互いに惹かれあうのか、その理由は私にはよくわからない。たとえば、なぜ緑は他の男子学生ではなくてワタナベを選んだのか、原作を再読すればわかるのかもしれないが、映画の中では積極的な理由は示されていなかったと思う。人が恋に落ちるのに理由はいらないという考えもあるだろうが、森羅万象、物事には原因があり結果があると私は思うのである。したがって、理由はよくわかないが、互いに惹かれあっている男女がいて、その心理を詩的な映像表現を多用して描いた作品として私は『ノルウェイの森』を観たのである。性というものが恋愛において占める比重の重さということもこの作品のメッセージかと思う。


上映会終了後、大隈講堂の前で小林先生を撮る。(このあとわれわれはラーメン屋に向かう)


11月22日(月) 曇りときどき小雨

2010-11-23 10:57:46 | Weblog

  9時15分、起床。早朝は晴れていたらしいが(そのため洗濯物を干している家が多い)、小雨がぱらつきはじめている。近所にある「ぐるぐるべーぐる」に朝食用のパンを買いに行く。今日はコンビニのサクサクした食パンでなく、ここのもっちりとしたパンが食べたい気分なのだ。11時開店だが、15分くらい前にはドアが開いている。女主人が一人で切り盛りしているところは「maruharu」に似ているが、店内では食べられない。木の実パンを1つ購入。まだ暖かく香ばしい。ベーコン&エッグ、牛乳の朝食。

  明後日の会議のための議案書を1つ作ってメールで送ってから、原稿の続きを書く。昼食は、手羽元と大根と里芋の煮物、大根の味噌汁、ご飯。
  戸塚ロイヤル・クリニックに電話をして人間ドックの予約をする。「いまからですと早くて1月の予約になってしまいますが、よろしいでしょうか」と言われたが、こちらはそのつもりである。ここ数年は年明け早々に受診している。年末年始は体重が増えやすいが、年明けに人間ドックの予約を入れておけば、それが食べ過ぎの抑制要因として働くから好都合なのだ。授業も会議の予定もない月曜日に予約を入れる。
  散歩に出る。ラゾーナ川崎のロフトと丸善を回って、来年の手帳とスケジュール帳を購入。毎年、大学から支給される早稲田大学仕様の能率手帳がメインのスケジュール帳だが、今日購入したのは日誌用のデイリープランナー「エディット」(マークス社)と、コクヨから新たしく出た測量野帳仕様のウィークリーとマンスリーのスケジュール帳。 今年は日誌用にぼぼ日手帳のカズンを使っていて、ちゃんと一年続いているのだが、鞄に入れて持ち運ぶには大きくて重いので、もう少し小型で軽めのものを探していた。ほぼ日手帳の普通サイズ(文庫版)は、カズンを使っている者からすると、窮屈な感じがする。たまたま見つけたマークスの「エディット」というのがサイズ(B6変型)も重さも自分がイメージしていたものにピッタリだったので購入した。


左から、能率手帳(早稲田大学仕様)、エディット、ほぼ日手帳カズン

  コクヨの測量野帳はメモ帳としていつも能率手帳と一緒に上着の内ポケットに入れて携帯しており、とても重宝している。縦長サイズ、軽量で薄型、水平に開く製本、ゲルインクペンによく馴染む3ミリ方眼紙、しかも安価、完璧な仕様である。今回出たのは同じ仕様のスケジュール帳だが、実際に使うかどうかはわからない(能率手帳があるわけだから)。ただ、能率手帳は授業や教務関連の予定だけで埋め尽くされている状態なので、研究やプライベートなスケジュール管理用に使おうかとも考えている。


左から測量野帳(2009限定版)、マンスリー用、ウィークリー用

  散歩の途中、爆笑問題の太田光が書いた小説『マボロシの鳥』(新潮社)を読む。9つの作品から構成されているが、最初の二編、「荊の姫」と「タイムカプセル」を読んだのだが、メルヘンチックな(メルヘンが本来もっている残酷さや不条理さを含めて)作品である。昔話を朗読しているような感じの文章。静止画像(紙芝居はその典型)のナレーションのような文章。よく言えば、静謐さをたたえた文章、別の言い方をすれば、躍動感に乏しい文章である。「荊の姫」は面白かったが、「タイムカプセル」は退屈だった(三番目の作品を読もうという気持ちが失せた)。素人にしては上手という域を出るものではない。
  近所の電気屋さんで地デジ対応の液晶テレビ3台を注文する。すでに居間のテレビと妻の仕事部屋のテレビは地デジ対応に買い換えたが、私の書斎のテレビと一階の母のところの食堂と居間のテレビはまだであった。来月に入ってしまうとエコポインが使えなくなるので、駆け込み購入が増えていると新聞に出ていたが、我が家もそれである。母のところの2台は録画機能のないベーシックモデル(32インチと22インチ)、私の書斎用は録画機能付きの19インチ。3台合計で20万円ほど。ずいぶんと安くなったものである。
  夜、本多孝好の新作『at Home』(角川書店)を読む。プロの作家の作品である。岡田恵和脚本の『ホームドラマ』というTVドラマがあったが、あれはバスの事故で家族を失ったものたちが擬似家族を作る話であったが、表題作の「at Home」も一種の擬似家族の物語である。80頁の中篇だが、一息で読めてしまった。出だしは、「これ、本多孝好の作品なのか、瀬尾まいこじゃないのか」といぶかしんだが、途中からの展開は本多独自のものだった。構想力が素晴らしい。


11月21日(日) 曇り

2010-11-22 03:06:02 | Weblog

  8時、起床。穏やかな曇り日。寒くはない。ブログの更新をしてから朝食。茄子とベーコンの煮物、ジャガイモと若布の味噌汁、炊き込みご飯。
  午前中は11月末が締め切りの原稿の執筆。日本社会学会大会でのシンポジウムの発表原稿に加筆して50枚程度のものに仕上げる予定。すでに3分の2は出来ているので、この週末と次の週末を使えば書きあがるはずである(たぶん)。
  午後、散歩に出る。少しばかり雨がぱらついてきたので傘を持って出たが、結局、使うことはなかった。「甘味あらい」へ行く。カウンター席で栗あんみつ(あんはつぶあんで、白玉を追加)を食べていたら、後から入ってきたお客さんに「大久保先生ですよね」と声をかけられる。慶応大学のA先生だった。区民会議、学会大会と続いて、「甘味あらい」でも一緒になるとはびっくりである。奥様と娘さんがご一緒で、紹介される。ご家族で散歩がてらときどき来店されるとのこと。いままで遭遇しなかったのが不思議かもしれない。池上や蒲田周辺の美味しいお店について情報交換する。奥様があんみつに入ってる求肥が美味しいと感想をもらされたので、なぜ栗あんみつには求肥が入っていないのかをご主人に尋ねたところ、求肥には桃の香りをつけているので、秋の味覚で統一している栗あんみつの調和が乱れるからという答えに感嘆する。そこまで考えて作られていたとは・・・。

  「甘味あらい」ではあんみつの餡はつぶあんとこしあんをチョイスできる。A先生のご一家は、奥様と娘さんがつぶあん派で先生がどちらでも派である。私も実はどちらでも派(その日の気分で決める)なのだが、世の中全体を見渡すとつぶあん派を名乗る人たちが多い気がする。たとえば、うちの妻がそうだし、妻の後に引き合いに出すのもどうかと思うが、柴田元幸さんがそうである。先週、古本の大黒で購入した『想い出のカフェ』には柴田さんの「甘味喫茶について」という文章が載っているのだが、ここにはこんなことが書かれている。

  「甘味喫茶で唯一困るのは、あんみつのあんが、つぶあんでなくこしあんであることが多いことだ。しかも、つぶあんとこしあんの違いに関して甘味喫茶関係者はしばしば無自覚である。「あんみつのあんはつぶあんですか、こしあんですか」と尋ねると、まるで「おたくのトイレットペーパーはシングルですか、二枚重ねですか」とでも訊いたみたいな顔をされことがある。」(182-183頁)

  どうも、つぶあん派=本格派、こしあん派=邪道みたいな感じである。う~ん、私はどっちもそれぞれ好きなんですけどね。思うに元気なときはつぶあんの気分で、少しばかり疲れているときはこしあんの気分になるような気がする。
  「甘味あらい」を出て、そのまま「薫風」に入る。おまかせ9種盛りというのを注文する。いろいろなものがちょっとずつ食べられるヘルシーなミニ懐石である。1つ1つに能書きがあったように思うが、忘れてしまった。

  食後の珈琲を飲みながら、渡部昇一『知的余生の方法』(新潮新書)を読む。34年前のベストセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書)の姉妹編というかシニア編である。教えられるところ、共感できるところはところどころあったものの、総じて文章が冗長なのは、著者の加齢のせいなのか、あるいは編集者相手に話した内容を文章化したものだからであろうか(そうは書いていないが、文章の調子が「語りおろし」風な印象を受けた)。

  古本の大黒をのぞいたらいつものご主人がいたので安心する。詩人の伊藤信吉の遺作である『室生犀星 戦争の詩人・避戦の作家』(集英社)を見つけて購入する。
  自宅にいったん戻ってから、ジムへ行く。筋トレ2セットと有酸素運動35分。トレーニングの終った後はゆったりした気分になる。肉体の疲労が神経の過敏さを和らげるためだと思う。筋肉の増強(基礎代謝のアップ)、体脂肪の燃焼、そしてこの鎮静作用がトレーニングの3大効果である。
  くまざわ書店に寄って、以下の本を購入。

  森於莬『耄碌寸前』(みすず書房「大人の本棚」シリーズ)
  村山斉『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)
  南後由和・加藤卓編『文化人とは何か』(東京書籍)

  腕時計の電池が切れたので、街の時計店で電池交換をしてもらう。私は腕時計の電池交換を小さな楽しみにしている。時計屋さんが必ずといっていいほど私の時計を誉めてくれるからだ。セイコーのクレドールというブランドなのだが、「これはいい時計ですね」と言われることが多い。25年ほど前に婚約者からプレゼントされた(指輪のお返し)時計である。今日の時計職人さんは女性だったが、私が腕から外して渡した時計を見て、「あら、すごい・・・」と独り言のように言った。


11月20日(土) 晴れ

2010-11-21 09:08:33 | Weblog
  10時、起床。朝寝坊の週末。ブログの更新をしてから、純和風の昼食。


カボチャの煮物、牛蒡の煮物、高菜の油炒め、豆腐と油揚げの味噌汁、ご飯

  午後から大学へ。高校時代の友人のKが理工学部で開催される講演会を聞きにくるので、その後で久しぶりに会おうということになった。Kが理工学部から戸山キャンパスまで歩いて来るのを待つ間、教務室で高橋先生(副学術院長)と雑談。高橋先生は私より1つ年上で、政治経済学部の出身だが、学部を卒業する年に文学研究科に考古学の修士課程が設置されて、その一期生として入学されたのである。政経から考古学というのはずいぶんと変わった経歴だが、学部時代からサークル活動で遺跡の発掘をされていたそうだ。しかし、もし卒業の年と考古学の修士課程の設置のタイミングがずれていたら、まったく別の人生を辿った可能性が高かったでしょうとのこと。人生の妙というやつである。
  高橋先生との雑談の最中にケータイが振動して、Kからいま研究室の前に到着したとの電話が入る。Kと会うのは2年ぶりである。2年ぶりではあっても、昨日会ったばかりのような調子ですぐに話が始まるのは旧友ならではである。新しい友人はこれからも作れるが、旧友はもう作ることができない。
  互いの近況や家族の話がひとわたり済んだところで、続きは喫茶店で話そうと大学を出る。ちょうど4限と5限の間の休み時間で、スロープは学生であふれている。私にとっては見慣れた風景だが、Kには新鮮なものに映ったようだ。自分がいる場所の特殊性というものは他者の反応を通してでないとなかなか気づかない。
  最初に「maruharu」へ行ったのだが、ちょうどマダムがシャッターを下ろしているところだった。今日は早仕舞いのようである。マダムと私が雑談をしているのを見て、後からKが「馴染みの店が何軒かあるのかな」と聞いてきた。「うん、馴染みの店はたくさんある。というよりも馴染みの店しかない」。Kは会社に朝7時半に出勤して、夜9時半に退社するまで、ずっと会社の中にいて、昼食は社員食堂、夕食は帰宅してから食べる毎日を送っている。私とは全然ライフスタイルが違う。
  「カフェ・ゴトー」へ行く。ほぼ満席だったが、ちょうどテーブルが一つ空くところだった。ここはチーズケーキが美味しいのだとKに勧め、Kはチーズケーキと珈琲、私はチーズケーキと紅茶を注文。「老後の計画はあるのか」とKが聞いてきた。ちょっと虚をつかれる思いがした。「老後」というのは身体的・社会的・心理的な要素から成る複合的な概念だが、「退職後」というのは多くの男性にとって決定的な要件で、早稲田大学の定年は70歳だから、「老後」については漠然と考えることはあってもまだ実感には乏しい。「ライフワークをまとめるかな・・・」と言って、清水幾太郎の評伝の話をする。Kは清水の名前を知ってはいたが、幾太郎を「きたろう」ではなく「いくたろう」と読むことは知らなかった。Kの会社の定年は60歳で、あと4年で定年だ。希望すれば65歳まで働ける制度があるそうだが、Kにそのつもりはないようである。会社の業績はこのところ芳しくないらしく(どこでもそうだろうが)、辞めてくれと言われればいつでも辞めるつもりだと言った(自分から辞めると退職金が七掛けになってしまうので)。Kは若い頃から山登りが趣味で、一度だけだが、私はKと一緒に八ヶ岳に登ったことがある。Kは地上にいるどんなときよりも颯爽としていた。奥さんの親の田舎が信州の茅野で、そこの古屋を最近リフォームしたので、老後は奥さんと住む計画のようである。奥さんは高校の同級生で(したがって私とも同級生である)、明るい性格の料理の得意な女性である。Kは自分で「俺は一人っ子だから」としばしば自己言及するとおり、奥さんに甘えるタイプの男で、奥さんがいる限りはKの老後は大丈夫だが、万一、奥さんに先立たれるようなことになったら、K自身が言うように「生きていけない」だろう。奥さんを大切にすることだ。Kには三人の子供がいて、みんな男の子だ。静岡の船乗りの専門学校の寮で暮らしている三男が今日は帰ってくるので、Kは奥さんから夕食までに帰ってらっしゃいと言われている。5時半ごろに「カフェ・ゴトー」を出て、「じゃあ、またな」と言って別れる。
  帰り道に丸の内の丸善に寄って、本を数冊と来年のカレンダーを購入する。蒲田には7時ちょうどに着く。久しぶりの早い帰宅になる。駅ビルの洋菓子店で妻の好きなケーキを買って帰る。