最近、図書館から借りて読んだ本の中から、同じ著者による二冊。
著者は、1942年生まれの心療内科医。この本は「自伝」で、書き上げたのは平成6年(1994年)というから、すでに23年たっている。フロッピーに保存されていたものを、今年になって上梓するはこびになったという。
戦後に、複雑な家庭で少年期から青春期を過ごし、中学生で新聞配達をし、後、横浜国大で経済学を専攻、さらに横浜市大で医学を学んだという。つまり、二つの大学をでて、最終的に医師になった波乱に富む半生が描かれている。読み物としてとても面白かった。
副題に―砂の器はだれが書いたか―とある。この人の叔父にあたる人に、庄野誠一という作家・編集者がいて、その人についてかなりページを割き詳しく語られている。内容は、どこまで真実か今となっては確認することもできないが、興味深いことに、松本清張の『砂の器』を実質的に書いたのは、その庄野誠一だった、というのだ。本文中には「ブラックライター」という表現を使っているが、普通に言う「ゴーストライター」ではなくて大まかな筋書きなどは元の作家によるところのアシスタントに近いものだったのかもしれない。漫画家などで、ほとんどの作画をアシスタントに任せるのに近かった可能性がある。あえて言えば、影に隠れた「シャドーライター」とでも云うようなものだったのか。膨大な著作を出版する人気作家ともなると読者の知らない所で陰に隠れてルール違反に限りなく近い事が行われているのかもしれない。そう言われてみると、『砂の器』は、他の作品とは文体が微妙に異なる気もする。また『砂の器』は映画化もされているが、基本的なプロットが小説とはかなり差異がある。よく原作者がOKを出したものだ、と感じたものだったが、そのあたりに、遠因があるのかもしれない。
こちらは、2002年の刊行だが、実質的には書かれたのは『秋の蝉』よりも後になる。「メディカルエッセイ」とあるように、日本医事新報に掲載された随筆を中心にして、一般読者向けに専門用語などを平易な言葉に換えて編集されている。読みやすく、医療の現場からの警告、とも感じられる話が多く興味深い。また、これからの超高齢化社会に向けて「心の準備」にもなりそうだ。遠くない日に、生きていれば確実に、自分も高齢者の一員になるのだから。
著者は、1942年生まれの心療内科医。この本は「自伝」で、書き上げたのは平成6年(1994年)というから、すでに23年たっている。フロッピーに保存されていたものを、今年になって上梓するはこびになったという。
戦後に、複雑な家庭で少年期から青春期を過ごし、中学生で新聞配達をし、後、横浜国大で経済学を専攻、さらに横浜市大で医学を学んだという。つまり、二つの大学をでて、最終的に医師になった波乱に富む半生が描かれている。読み物としてとても面白かった。
副題に―砂の器はだれが書いたか―とある。この人の叔父にあたる人に、庄野誠一という作家・編集者がいて、その人についてかなりページを割き詳しく語られている。内容は、どこまで真実か今となっては確認することもできないが、興味深いことに、松本清張の『砂の器』を実質的に書いたのは、その庄野誠一だった、というのだ。本文中には「ブラックライター」という表現を使っているが、普通に言う「ゴーストライター」ではなくて大まかな筋書きなどは元の作家によるところのアシスタントに近いものだったのかもしれない。漫画家などで、ほとんどの作画をアシスタントに任せるのに近かった可能性がある。あえて言えば、影に隠れた「シャドーライター」とでも云うようなものだったのか。膨大な著作を出版する人気作家ともなると読者の知らない所で陰に隠れてルール違反に限りなく近い事が行われているのかもしれない。そう言われてみると、『砂の器』は、他の作品とは文体が微妙に異なる気もする。また『砂の器』は映画化もされているが、基本的なプロットが小説とはかなり差異がある。よく原作者がOKを出したものだ、と感じたものだったが、そのあたりに、遠因があるのかもしれない。
こちらは、2002年の刊行だが、実質的には書かれたのは『秋の蝉』よりも後になる。「メディカルエッセイ」とあるように、日本医事新報に掲載された随筆を中心にして、一般読者向けに専門用語などを平易な言葉に換えて編集されている。読みやすく、医療の現場からの警告、とも感じられる話が多く興味深い。また、これからの超高齢化社会に向けて「心の準備」にもなりそうだ。遠くない日に、生きていれば確実に、自分も高齢者の一員になるのだから。