体力ぎりぎりの運動を繰り返す人は、体内麻薬の
中毒だという説をたまに見かけます。
ジョギングが最近はやっているのも、その爽快感
が原因なのは間違いありません。
しかし、それが脳内麻薬による作用なのか、少し
疑問が残るところです。
毎日1時間のジョギングをしていますが、体力的な
限界ギリギリの活動をしているのだろうかと思う
のです。
体力的には、ハーフの大会にも出られるものがあり
その半分の距離でやめているわけでまだまだ走れる
はずです。
ただ、夜夕食を済ましてテレビの前のいつもの席へ
着いたら直ぐに眠りに落ちてしまうことがたびたび
あるのです。
朝から粗大ごみを片付け、友人の冷蔵庫を3階の
テナントビルまで運び上げ、部屋の清掃をつづけ
終わった後にいつもの市内巡航コースを1時間03分
ではしり、ほっとすれば電池切れのように意識が
落ちてしまうという状況は体力切れを表すもの
なのでしょうか。
運動をしてギリギリのところまで来ると体が苦痛を
和らげようとして脳内麻薬を分泌するというのも
一般が信じ込んでいる状況とはランナーが知るもの
とは違うような気がします。
というのも、今日のようにハードワークの末力尽きと
いう雰囲気の中では、なぜ普通の肉体労働では脳内
麻薬は出ないのだろうかということになってしまう
からです。
元々体の限界とか使用できる力は我々が普段生活して
いる感覚からするともっと上のところにあるはずで
世界のトップレベルのアスリートともなるとその限界
に近いところまで追い込むといいます。
そんな足元にも及ばないジョギングなのに脳内麻薬の
中毒でジョギングをすると走る人批判ともとれる
運動中毒状態を笑う風潮に疑問を感じつつうつらうつら
としてしまいました。
やはり、運動できない人のやっかみなのだろうと納得
しつつ、意識が切れました。
中毒だという説をたまに見かけます。
ジョギングが最近はやっているのも、その爽快感
が原因なのは間違いありません。
しかし、それが脳内麻薬による作用なのか、少し
疑問が残るところです。
毎日1時間のジョギングをしていますが、体力的な
限界ギリギリの活動をしているのだろうかと思う
のです。
体力的には、ハーフの大会にも出られるものがあり
その半分の距離でやめているわけでまだまだ走れる
はずです。
ただ、夜夕食を済ましてテレビの前のいつもの席へ
着いたら直ぐに眠りに落ちてしまうことがたびたび
あるのです。
朝から粗大ごみを片付け、友人の冷蔵庫を3階の
テナントビルまで運び上げ、部屋の清掃をつづけ
終わった後にいつもの市内巡航コースを1時間03分
ではしり、ほっとすれば電池切れのように意識が
落ちてしまうという状況は体力切れを表すもの
なのでしょうか。
運動をしてギリギリのところまで来ると体が苦痛を
和らげようとして脳内麻薬を分泌するというのも
一般が信じ込んでいる状況とはランナーが知るもの
とは違うような気がします。
というのも、今日のようにハードワークの末力尽きと
いう雰囲気の中では、なぜ普通の肉体労働では脳内
麻薬は出ないのだろうかということになってしまう
からです。
元々体の限界とか使用できる力は我々が普段生活して
いる感覚からするともっと上のところにあるはずで
世界のトップレベルのアスリートともなるとその限界
に近いところまで追い込むといいます。
そんな足元にも及ばないジョギングなのに脳内麻薬の
中毒でジョギングをすると走る人批判ともとれる
運動中毒状態を笑う風潮に疑問を感じつつうつらうつら
としてしまいました。
やはり、運動できない人のやっかみなのだろうと納得
しつつ、意識が切れました。