『1Q84』読み終えました。
先日テレビで『ラッシュアワー3』をやっていました。
ロマンポランスキーが出ていてびっくり。さらにソンミンミン
も人造人間のような出され方でしたが、しっかりバスケット
シューズを履いてて映画に出てたんだ、と感心。
まあ、これオマージュなんだろうか。死亡遊戯のカリーム・
アブドゥル=ジャバーのラスボス起用をやはり思い出します。
名監督として名の高いポランスキーがヨーロッパでは未だ
指名手配犯で身柄拘束というニュースの衝撃がまだ残ります。
それがさえない役でさえないせりふを言う役をやっている
という変な映画でした。
ストーリーからして陳腐であり、出てくるシーンは全て
手垢のついたものばかりと何を狙ったのか、何を表現し
たいのか良く解りません。
まあ、これは金が集まっちゃったからしょうがない作って
見るかという感じです。
そして、この本もなんか勢いで作ったようなあまり
考えて無いけど売れるからいいじゃんみたいなところ
があり、カフカの時は少年の成長物語と世界の境界の
交錯する不思議な話と、構造体はまったく同じで、ただ
こしらえをサスペンスと恋愛物語とSFぽい近過去の物語
に仕上げたというものです。
この近過去というのは一番難しく、近未来を描くというの
は結構データーの積み上げで予測可能なものであり、別に
外れても誰も文句は出ないから書きやすいのです。
ところが近過去なら、もしからしたらここの教団とか
団体はとは私たちの事を言っているのではというクレーム
が出やすいし、何を言いたいのかというのも直截になり
易いものです。
しかし、この小説が安っぽくならず、ありきたりの結論
に流れないのはやはり作者の力量なのでしょう。
それが今までのノルウェイの森から続く、物語の作りや
音楽がモチーフに使われたり、異世界との境界やらこの世の
ものとは違うもの達の出現など共通するモチーフがあり、
まただと思わせるものもあるのですが、これを待ち望んでいる
人たちも多いのでしょう。
でも、巷では第4巻があるうわさされる本作ですが、作者は
そんな考えて書いているのか疑問に思うのです。
特に、読んでいて青豆さんと天吾が首都高の上にたった時
絶対作者はこれからどうなると考えて無かったなと思い
ました。
そんな行き当たりばったりな感じを受けるのです。
緻密な理論の積み上げやストーリー構成で無く、感性の
赴くままに登場人物が勝手に動いて行ってくれるような
そんな書かれ方を感じます。
それでも死ぬはずの青豆さんが実は生きていてずっと
隠れて話が進むというのはミレニアムを思い出しますし、
牛河という端役だと思った人が何か重要な役に格上げに
なったり、やりたい法題な感じもします。
どうしてこの作品が多くの読者を持つのかも謎です。
先日テレビで『ラッシュアワー3』をやっていました。
ロマンポランスキーが出ていてびっくり。さらにソンミンミン
も人造人間のような出され方でしたが、しっかりバスケット
シューズを履いてて映画に出てたんだ、と感心。
まあ、これオマージュなんだろうか。死亡遊戯のカリーム・
アブドゥル=ジャバーのラスボス起用をやはり思い出します。
名監督として名の高いポランスキーがヨーロッパでは未だ
指名手配犯で身柄拘束というニュースの衝撃がまだ残ります。
それがさえない役でさえないせりふを言う役をやっている
という変な映画でした。
ストーリーからして陳腐であり、出てくるシーンは全て
手垢のついたものばかりと何を狙ったのか、何を表現し
たいのか良く解りません。
まあ、これは金が集まっちゃったからしょうがない作って
見るかという感じです。
そして、この本もなんか勢いで作ったようなあまり
考えて無いけど売れるからいいじゃんみたいなところ
があり、カフカの時は少年の成長物語と世界の境界の
交錯する不思議な話と、構造体はまったく同じで、ただ
こしらえをサスペンスと恋愛物語とSFぽい近過去の物語
に仕上げたというものです。
この近過去というのは一番難しく、近未来を描くというの
は結構データーの積み上げで予測可能なものであり、別に
外れても誰も文句は出ないから書きやすいのです。
ところが近過去なら、もしからしたらここの教団とか
団体はとは私たちの事を言っているのではというクレーム
が出やすいし、何を言いたいのかというのも直截になり
易いものです。
しかし、この小説が安っぽくならず、ありきたりの結論
に流れないのはやはり作者の力量なのでしょう。
それが今までのノルウェイの森から続く、物語の作りや
音楽がモチーフに使われたり、異世界との境界やらこの世の
ものとは違うもの達の出現など共通するモチーフがあり、
まただと思わせるものもあるのですが、これを待ち望んでいる
人たちも多いのでしょう。
でも、巷では第4巻があるうわさされる本作ですが、作者は
そんな考えて書いているのか疑問に思うのです。
特に、読んでいて青豆さんと天吾が首都高の上にたった時
絶対作者はこれからどうなると考えて無かったなと思い
ました。
そんな行き当たりばったりな感じを受けるのです。
緻密な理論の積み上げやストーリー構成で無く、感性の
赴くままに登場人物が勝手に動いて行ってくれるような
そんな書かれ方を感じます。
それでも死ぬはずの青豆さんが実は生きていてずっと
隠れて話が進むというのはミレニアムを思い出しますし、
牛河という端役だと思った人が何か重要な役に格上げに
なったり、やりたい法題な感じもします。
どうしてこの作品が多くの読者を持つのかも謎です。