King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

お祭りも終われば

2013年12月04日 10時37分19秒 | 日々のこと
昨日の秩父夜祭の花火終了の放送はなかなかシュールでした。

祭りのクライマックスといわれるのは屋台が団子坂を上る頃といわれ
ています。

登り切って亀の子石のところに揃ったら花火大会が始まり祭りの夜を
彩るわけですが、それも昔の花火大会とは様相が変わり、花火その
ものの美を競う感じになったようです。

昔は仕掛け花火というネオンサインを花火で動かして見せるという
全国でも珍しいものでした。

ところが、最近は花火の全国大会のテレビ放送が毎年あり、その
技術が公開審査にさらされるようになり、地方の祭り最寄全国の
審査を常に気に掛けるような運びとなり、花火の美も大規模な
ものや特別な技術がよりもてはやされる結果を招いています。

もはや田舎の花火大会などでは人を呼べないのです。

寒い中全国から花火を見に来たり、屋台を見に来るという行動も
テーマパークや娯楽施設の発達により、みる価値が問われるという
時代に入っています。

得難い体験ができるとか三大曳山とかその名声と体感できるもの
がどれだけ特異でものすごいものかというのは実はあまり簡単には
感じられるものではないのではないかと思います。

何十年も地域の人が一晩中この真冬の中屋台を引き回すというのは
その屋台について回って夜中見ても楽しいものではないでしょう。

しかし、団子坂を上り切り、神社行列の人は一旦休憩しますが、
その後明け方近くまで屋台を引いて各町内に戻り、神社行列の人も
もはや人がいない通りを戻るのです。

花火を終了するにあたり、祭りはまだまだクライマックスですどうぞ
お楽しみくださいというアナウンスが流れたのですが、地元の人でも
祭りにかかわっている人でなければ屋台について回る人もいません。

露天商は札幌ナンバーや福岡やら日本全国から集結して毎年なにか
流行を取り入れて商品もあれっと思うものがみられます。

こんな祭り風景はネットや本などの世界でなくリアルな生活体験の
極地にあり、人が営むということ、生活があり、祭りがあるという
生きる根源と社会生活本を感じられるのではないでしょうか。
コメント
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