今年は一年で唯一国民の休日がない月という汚名や疎外感も天皇の
代替わりという国家行事により、12月もまた国民の休日の無い日に
戻ったのでそういう表現も使えなくなったわけですが、12月はクリスマスや
大晦日というのはもはや休日も同じ扱いですからやはり特別さはそのまま
な感じもします。
この時季というのはこの時季にしか現れない現象とか味わえない空気とかが
あり、特にこれから夏にかけての夕景は特筆すべき美しさです。まるでターナーの
絵のようないつまでも眺めていたいような美しい色の空を眺めながらのランニングは
最高です。
そして、ホタルも飛ぶ季節であり、夏野菜のでまわる時期でもあり、いよいよ佳境に
踏み入るかという感じの時です。そんな時に大掃除をしたり、おお祓いをするという
古来の考え方はこの時季は特に気おつけなさいよという教訓なのでしょう。私は昨日
用事で市内を駆けずり回り移動を続けたのですが、帰って豆の発送やら金融機関やらに
出かけて用事を済ませて帰り、リビングに腰を下ろすとどっと疲れがへばりつくように
体にのしかかってきたのでした。こんな疲れ方をしたのはかつてないほどの疲労感で
夜のランニングにも出かけられませんでした。
体の変調を抱えたまま次の朝もすっきりと目覚めて回復というわけにいかず、さっさと
体を動かして次に進むという感じではありませんでした。どうしてこうなってしまったかという
問いを漏らすも何も思い当たる節も原因すらも思いつがず、あれをしようこれをしようという気力も
全く起きないというありさまでした。
それでも『早夏』を飲んでこの味がやはり今の季節に合うという思いを強くするとそれにつれ
沸々と気力が戻り次に進もうという意欲も頭をもたげてくるのでした。
先日朝のニュースで見た秩父の守り石巡礼の現場を見てみるとニュースで言われていたような
お寺や神社の扱いはそこにいわれのある石というより、巡礼とはかけ離れた扱いで、八犬伝の
様に石を求めて各地を巡る意味も意義もそもそもあるのかという感じでした。というのもパンフレットに
ある神社に行っても売ってなくて近くの旅館や観光案内所にあったり、神社の社殿やお守り売り場で
売っている方が少数で、秩父三社である三峰神社ではそもそも入ってないという随分肩透かし的な感じ
を受けたのです。
各地で神社、寺、教会という宗教の境なく御朱印という記帳をしてくれるということで、最近は
観光の記録のようにご朱印帳片手に旅をする人が増えているといいます。もともと秩父では
札所の納経は行われていて、納経帳と袈裟と杖というのが必須アイテムでした。札所を周る人は
坂東西国秩父という100箇所のお寺を巡りそれを果たすと満願という達成に預かるというミッション
であり、そもそもそれが願いが叶うとか100という数字のせいか課題として提示されればやらねば
ならないのが人の性なのかという感じです。今のスタンプカードよろしく納経帳にスタンプを押してもらい
人によっては白装束に直接押印をもらい、成果を目にしながら歩くことができたのです。とかく日本人は
この様なことが好きで、山だと100名山などと一人の山岳愛好家が名付けてその思い出を書き残すと
それが聖書のようになり、同じく100の山を登る人が後を絶たないという状況になっています。
スキーでは100ゲレンデというのがなくてよかったと思います。いや今ではつぶれるスキー場が後を絶たない
という状況だから誰かがそういうのを作っていたらまた状況が違ったのかという感じもします。
とはいえ似たように各地のスキー場を巡る人はいて200snow reportsなる有名なサイトもあります。
そのホームページの更新も止んで久しいこの頃ではゲレンデは外国人ばかりという状況が進むのでしょう。
肝心のご朱印帳は秩父の神社では500円で札所の納経所では300円と日付も入り出来栄えを見ると
旅の記録としては立派で見ごたえたっぷりです。私も豆を売るよりご朱印ありますと看板をだそうかと
思うのでした。