King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

粛々とそこにあるつづき

2019年06月26日 12時20分53秒 | 珈琲

秩父の田舎から都心に出るとその豊かさを実感します。

かつては都心で生活することを考えたりしました。

 

都会は便利で様々な機会に満たされているとも感じ、今の田舎の需要では

これから先、たいした事業的発展も望めないでしょう。

 

しかし、そこまで求めなくてもよいような気になるのは秩父に着いて安心感に

浸る時です。

 

そこで感じるのは、丁度よい距離感と必要なら日帰りで用事を済ませられるインフラです。

 

都会で生活しなくても生活の拠点は自然豊かな秩父にあるのはとても居心地がよく、なにかに

抱かれているような安心感もありつい次なる発展を踏み出すのを思いとどまらせるようなものも

含んでいたりで、昔から懸念のあることでした。

 

昔から珈琲を飲み考え過ごしてきたそんな空気の積み重ねだったり、時間の目に見えない積み重ねが

珈琲を飲むたび蘇り、自分の精神世界から秩父の自然とそこにある空気と呼応するものが粛々とあると

感じるのでした。

 

そして、その豊かさと自分の幸福をふと感じたりします。

 

自然とは人間の営みにしたたかな仕打ちを時にします。特に最近は雨が集中的に降るだけで死者が出たり

地震が頻発したり、火山の噴火があったりと実ににぎやかです。しかし、それらはニュースで知るばかりで

秩父の生活がそれらからほど遠く何か守られているとさえ感じてしまうのでした。

 

とかく聞こえる同年代の人達の現状は多くの病や社会環境の変化で蹂躙されとかく厳しい人生ばかりです。

 

かくも悲惨な課題を課せられるのはどうしてなのかと人は時に問いますが誰もそれには答えてくれません。

心の安定のために様々な方法が発明され、神という存在や信仰などというもの考え出されました。

 

しかし、珈琲一杯ほどの豊かさ完全さがそれにあるでしょうか。

 

珈琲一杯に感じる自生の心に安寧と安心といつもそれがもたらされるという幸福を持つという事が如何に

恵まれた事か。それを昨日久々都心に出て感じているのでした。

 

 

 

 

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粛然とそこにあるもの

2019年06月26日 10時26分42秒 | 珈琲

昨日は突然の都内出張となり、やはり少なからずご迷惑をおかけしてしまい

申し明けありませんでした。

しかし、私は積もり積もった懸案とか今度都内に行ったら寄ろうと思ったこととか

ことごとくすべての予定を熟せこれは最近にないお出かけの中では行幸の部類に入る

のではという感じです。

もっと自由に自分らしくとか人は時に諸々の悩みやら壁やらにぶち当たり、ぐだぐだと

方向性を試したり、答えのないものをずっと考えていたりするものです。まあそれが人の

繰り返してきたことで、これからもいい年をしてもこんなことの繰り返しをするのです。

 

前回の田中陽希の三百名山で秩父の山を登り武甲山の容姿について地元の人との会話に

日記でも触れて破壊される山容について意見を述べていました。なにかと最近このように

秩父の行政がとった自然破壊というものに対して意見を言う人がいますが、もともと人間の生

は農業によって集約的社会を築き発展してきました。これは各国の神話にも登場し、自然と

農業と人々の暮らしが神の営みとリンクするかのような物語は各国にあり、天文学や潅水

建築とそれぞれの発展を促し、より大きな社会、集合体を形成可能にしました。

 

つまりは社会形成していくと治水、町の構築など自然の形質を変え、他の食性にも大きな影響を

与えます。しかし、それが自然破壊だとか悪だとか直ぐに考えるのが日本人でもともと生きるためには

自然に変更を加え続けることを考えれば人の生そのものが悪となってしまいます。

そして、農業などはよいことと捉えて現代社会でうまくいかなくなった若者が地方で農業するとか

言い出すのをよく聞きます。自然を相手にするからよいこととするのは単純です。農業こそ自然破壊であり、

人間の都合により捻じ曲げた搾取に違いないのです。しかし、それによりより大きな集団での生活や

集約的発展で様々な進歩を手に入れました。そんな事も解りもしない人が山を削ったから自然破壊だとか

信仰の山だから破壊するのは愚かなことだとか言い出しています。

 

そんな程度の宗教理解だから令和だ新時代だと浮かれてみたり、続々と国家神道の復活のような儀式が

国の予算で行われていても何の違和感も持たないのです。

 

今回のイランと米の緊張のように仕掛けたのはアメリカであり、もともと勝手に核合意を離脱したり、

一方的な制裁を課すなど武力を背景にした交渉など誰も乗る気になれないでしょう。ところが今世界で

起きている武力による占領状態は皆アメリカが関係して起きており、自国第一主義が巻き起こったのも

武力による解決で難民が増えヨーロッパの安定を脅かし、各国の自国第一主義勢力が躍進したのも中東で

軍事的にアルカイダなどの排除をしたせいです。

 

昔から他所の国に軍事介入して自由主義と資本主義を守って来たといいつつ、それは唯の侵略と変わりなく

朝鮮でもベトナムでもイランやイラク、アフガニスタンでも破壊しただけで何も生まれていません。

多くの平和で安定した暮らしを脅かし、より過激な勢力が台頭し、無政府状態の国が増え、難民は

祖国を捨てヨーロッパに向かいました。このように平和に暮らしていた生活を壊したのは全て米国の

軍事行動です。

 

それらは国連の決議もなく一方的に始められ、同盟国の参加も強制し大々的に強者が弱者を蹂躙すると

いう図式になっています。今回はまだとどまっていますが、軍事行動の陰で多くの人々の暮らしは破壊され

その責任は誰も負わないという形にそろそろ終わりにしていいのではないでしょうか。

 

クリミア併合やゴラン高原の軍事的占拠など軍事によらない解決を国際社会が主導していかなくてはなりません。

それには全ての国が軍事による解決をやめなくてはなりません。

そんな事を思ったのは昨日の都内出張で見た大使館近辺や有名ホテルでの警備の尋常でない様子からです。

朝のニュースではトランプ大統領が日米安保を見直すとか破棄すると米報道があった事を報じているのを

見てそう思いました。止めるのは米の軍事行動です。

 

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