秩父の田舎から都心に出るとその豊かさを実感します。
かつては都心で生活することを考えたりしました。
都会は便利で様々な機会に満たされているとも感じ、今の田舎の需要では
これから先、たいした事業的発展も望めないでしょう。
しかし、そこまで求めなくてもよいような気になるのは秩父に着いて安心感に
浸る時です。
そこで感じるのは、丁度よい距離感と必要なら日帰りで用事を済ませられるインフラです。
都会で生活しなくても生活の拠点は自然豊かな秩父にあるのはとても居心地がよく、なにかに
抱かれているような安心感もありつい次なる発展を踏み出すのを思いとどまらせるようなものも
含んでいたりで、昔から懸念のあることでした。
昔から珈琲を飲み考え過ごしてきたそんな空気の積み重ねだったり、時間の目に見えない積み重ねが
珈琲を飲むたび蘇り、自分の精神世界から秩父の自然とそこにある空気と呼応するものが粛々とあると
感じるのでした。
そして、その豊かさと自分の幸福をふと感じたりします。
自然とは人間の営みにしたたかな仕打ちを時にします。特に最近は雨が集中的に降るだけで死者が出たり
地震が頻発したり、火山の噴火があったりと実ににぎやかです。しかし、それらはニュースで知るばかりで
秩父の生活がそれらからほど遠く何か守られているとさえ感じてしまうのでした。
とかく聞こえる同年代の人達の現状は多くの病や社会環境の変化で蹂躙されとかく厳しい人生ばかりです。
かくも悲惨な課題を課せられるのはどうしてなのかと人は時に問いますが誰もそれには答えてくれません。
心の安定のために様々な方法が発明され、神という存在や信仰などというもの考え出されました。
しかし、珈琲一杯ほどの豊かさ完全さがそれにあるでしょうか。
珈琲一杯に感じる自生の心に安寧と安心といつもそれがもたらされるという幸福を持つという事が如何に
恵まれた事か。それを昨日久々都心に出て感じているのでした。