King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

DOSと幸福と

2020年07月18日 10時17分27秒 | 珈琲

パソコン設定を頼まれて依頼の全てをやり遂げたものの実際のネット接続やらプリンターなどは

依頼者の手元にあり、そこでやる以外ないのでした。それなのに依頼者はプリンターの名前を知らせて

それでできるようなつもりでいてあとは自宅で繋げてwi-fiのキーやらの入れ方を教えて帰りました。

当然のようにまた連絡がありその家での設定の追加を申し入れられたのですが、そんなに何もできないのなら

なぜそんな高価なパソコンを買う必要があったのかと疑問は募ります。まあその答えがネットで配信される

コンサートを見たいということなので似たような事例はそこら中にあるのでしょう。

 

これもコロナの影響で劇場に行きたいが感染か怖いとか自分のお気に入りのイベントやライブなどのパフォーマンスと

なくなったものをせめてネットでということなのでしょう。

 

私は清志郎亡き後、清志郎の映像などをみますが、ネット上のものをテレビで見れるようになったいま改めて

見てみても全然つまらなくてかつての感動とか一体感とかやはりもう得られないものという感覚ばかりが

解るだけで昨年見た世良公則のコンサートやその前の泉谷しげるとその時のこととか記憶は色々と関連して

おり、ネットでまたコンサートを見たとして同じようなことが起きるかというと全くそんな面白みもどきどきも

わくわくもないように思います。

 

コンサートはチケットのゲットから会場にに向かう道からそれらすべてが特別なものであり、いつも

わくわく感に満ち周りの人たちも自分と同じ目的と一体感を求めて今一緒に向かっているんだという

連帯のような意識も湧き上がります。

 

今頃だと野音で見た清志郎のコンサートの始まる前の雰囲気がまざまざと思い出されるし、日比谷公園の

猫だとか蚊の多さだとか焼きそば売りとのやり取りとかリハーサルの音を聞きながら外でみんなでジャンプしたり

歌ったりして入場待ちしたこととか、ポプラの香りと会場の焼きそば売りのにおいなどすべてがいつでも蘇り

ます。

 

それがネットでチケットを買ったりテレビとパソコンをつなげたりしての視聴ではどんなものになるかなど

最初から解っていますが、依頼者は唯一の今の望みのように懇願し依頼されたのでまあやってやらないことはない

と手を付けましたが、パソコンとテレビのケーブルさえ繋げない人に果たしてこの視聴は完遂するのでしょうか。

そうそれはもちろん感動というフィナーレがあるのかということですが、こと私に関して夏から秋にかけコンサートの

案内は入ってきており、もしかしてこれはgotoキャンペーンに対象になるのかそれとも都内イベントはまた見送り

なのかという最中にあり、自分が果たして行く気になるかも今の段階では不明なのです。

 

不思議なのは今病院は普段の三分の一くらいしか患者がいない状態だそうでコロナ患者のいない病院でも

経営が悪化しているそうです。そもそも発熱の患者はどこも専門の外来に分けており、熱のある人の出入りは

制限されます。それがおおもとで患者の減少ということなのか外出自粛による収入減なのか解りませんが

病院でさえ三分の一という経済状況に政府の観光関連支援のgotoキャンペーンなど市民生活にどれほどの効果が

あるかなど今の状況なら全くの焼け石に水なのではないかとしか思えません。

 

パソコンの設定をしていて思ったのはDOSといえばマイクロソフトでビルゲイツを思い出しますが、

実は開発者は別でMS-DOSとIBMのDOSとN98という日本語のDOSとか色々とあったように思います。

それ等パソコンが普及する元となったOSですが、実は有名な割にこれが予算がなくて外注で少人数で

作られもともとあったアイディアの再利用で後に開発者はマイクロソフトに移りwindowsの元になったと

いう概念です。スティーブンジョブズもあの独特なデザインのマックを一から作った人と思われがちですが、

guiにしろシステムにしろ全ては寄せ集めやパクリ品であり、箱を開けさせないとか一つボタンのマウスとか

熱狂的なファンを作る様々な仕掛けも全てはオリジナルでなくパクリの方が多かったといいます。

それ等競争の激しい中からIBMはパソコン部門を売却し、私が使っていたgatewayはなくなり、マックと

windowsだけの世界のようですが、どちらもOSは自社製ですが機械は世界中の部品の寄せ集めでできると

いう競争ゆえの一社独占の世界ではなく移り変わりの激しい巨人がいてもそれがオリジナルの人ではなく

アイディアをもっていたのでもなくたまたま経営者として優れていたので業界の巨人としてしられていると

いう感じです。

 

その後のコンピューターの世界もgoogleやamazonやfacebookといったネット上での物へ移り開発者はやはり

巨万の富を一代で築くという世界に変わりはありません。

 

しかし、もともとDOSを作った人やguiとかマウスとか真の開発者であり、アイディアを持っていても知られて

いない人が報われたのかふと気になってしまいました。実は盗まれて無名のままというケースも少なくないのかも

しれません。

ジョブズも最初の仕事でパートナーで技術者に報酬をごまかし350ドルしか払わず関係が壊れそうになっており、

それなのにどうにかパートナーとしてアップルの共同経営者としてその隆興の元となったのは知られています。

 

いつもいてくれる心強い相棒がいてのアップルという構図は後にペプシから経営者を引き抜き自分より技術や

センスの良い人は仲間に入れるとしてその隆盛を築いていたのです。のちにその経営者から首を切られてしまう

話も有名です。また復帰してからのiMacやiPhoneのヒットと追いやられていた時に作った映像会社やアニメ会社も

後に収益を上げやはりその経営手腕とかカリスマ性とかがいわれることとなるのですが、実際にアイディアや会社を

作った人や働いていた人は別なわけでこういうところは人は騙されてイメージとしての刷り込みを常にされていると

感じます。

 

珈琲もそんなことが多々あり、コーヒー通とかコーヒーマニアと自称する人は当店に来てもブラジルの説明を

聞き自分は通なのでブラジルでは満足できないと言い放つ人がいました。移転してからこの手の人は減り、

私が勧めるブラジルを飲み素直においしいと気に入りリピートする人も多く、特にモジアナの豆は誰でも

理解がしやすいようです。

 

昨日再入荷してさっそく今日も焼き安定した味にこの雨続きの空の下でも実に気分爽快です。

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