今回は桑山忠明の追悼展示とフランス·ステラの追悼展示がありました。事前に見たネットの記事ではツツジの名所で館内だけでなく敷地のなかに茶室などありイベントも行われているような記事を見かけ広大な敷地とキッチンカーなどが出店する公園のようなところという側面も伺えました。
しかし、私のかつてのイメージやそれらネットの記事や今目の前にする情報がまざりあいあまりに人工的な映画セットのような人工物のように感じられあまりしっくりと来ないのでした。京都の建築物のように周りの自然と溶け込み一体となった悠久の時を感じる建築物のように空間に溶け込み自分もその一部なのだと感じさせる包容感の様もなく空々しい無理矢理感の方が強いのです。
二度目のロスコールームも自分の脳内に案内されるような感覚と作家の発する情熱と魂の波長とまるで宇宙船の窓から見ている宇宙の時間のようなものを突きつけられたような落ち着きのない気分にさせられたり、強い情感の変化を感じたりというよりはむしろ静かな無機質的な口上を聞く思いでした。ただ前回との違いとしては以外と絵一枚一枚が明るい色であることや大きさが前回より大きかったことです。でもあまりに前回ほど強い感情の変化や感動するといった気持ちの高ぶりもなく、ああロスコールームだなとマークロスコーの知りうる知識が思い出されのみなのです。まあ、これが二度目ということなのでしょう。それとも自分が若くなくて昔のように物事に感動できなくなってしまったのかもと危ぶみました。それで平日の雨なのにも関わらず押し寄せた他の客を眺めて、みんな精一杯のおしゃれをしてここぞと思って決めてきた様を眺めると自分は他人とは違うという強烈な思いと自分を特別視する自尊心と虚栄心があふれでて隠しようもない様子を感じてしまうのでした。そんななかガソリンスタンドの職員のような帽子とジャンバー姿のおじさんが一人紛れ込んでいて場違いな空気を醸しつつも全く物怖じすることなく淡々と絵を見て回る様は面白い対比となり自由という誰の批判も受けず感じもしない強さを感じるのでした。逆に着飾ったおばさんたちの品のない自尊心の方が恥ずかしいような色を放ったのではないかとさえ感じました。さて、お昼は館内のレストランでと思いましたが入り口に入場待ちをする人が椅子に座っていて先程の自分はオーラを放っていて眩しいなか受付のタブレットをのぞくと50人待ち100分の待ち時間と表示されています。これでは無理とそそくさと離れますが、なかをのぞくとテーブルの半分も埋まっていないのでした。なんか今風だなと感じつつ美術館をあとにしました。
帰りはまた外環に乗ってずっと高速で帰るだけです。自宅にナビをセットしてお気楽な気持ちで出るも佐倉のインターに着きません。もう諦めて下道で千葉に向かいやっと京葉道に入るもまたすぐ下道から16号等を案内します。これは当てにならんとリセットしてまた入り直し、京葉道に乗りその先の確認をするため幕張パーキングに入り地図を確認し改めて外環に入るジャンクションの名前を覚えてスマホのナビで最短経路を検索。車載ナビは外環が繋がったことを知らないのです。それでも最短経路は外環なのか確かめるとやはりスマホのナビも外環を選択したので今度は多少混んでもルートを変えず行こうと決めて出発します。関越道に入ると雨と暗くなり始めて更に困難な道行きになりますが関越にはいれば全て知った道ですので後はナビも必要なく道路も広いし渋滞もありません。花園でアウトレットにより夕飯の買い物とナイキなどを見て帰りました。
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