蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ゲーテ  (bon)

2022-08-28 | 日々雑感、散策、旅行

 8月も今頃になると、小学生の頃の想い出がぼ~ッと浮かんできたりしました。
何かというと、夏休みの宿題がまだ残っていることが気持ちを重くしていたのです。
そして、楽しい自由だった夏休みがあと数日で終わってしまい 2学期が始まるこ
とも気重の原因だったようです。 最近の子は。新型コロナの影響などで8月中に
2学期が始まるところが多いようです。
 8/25の読売新聞コラムに、この時期のことが取り上げられていました。夏休み
の終りに小中学生の自殺が増えるとあり、先日の東京渋谷での中3女子による刺傷
事件も受験で心を乱したとありました。秋への渡りの大事な時期なんですね。

             

 話がそれたところから始まってしまいましたが、ものの本を観ていましたら、
今日、8月28日があのドイツの文豪、ゲーテの誕生日だったのです。 なので、
ちょっと覗いてみました。 といっても、1749年のことで、300年近く前のこと
なんです。 日本では徳川吉宗の後の頃にあたるのですね。

 ゲーテのフルネームは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann
Wolfgang von Goethe)とあり、長い名前ですが、このGoetheをゲーテと読むの
はかなり難しく、古くは、日本語表記を「ギョエテ」「ゲョエテ」「ギョーツ」
「グーテ」「ゲエテ」など数十種類にものぼる表記が存在したそうです。このこと
を諷して齋藤綠雨が「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」などと言ったとか。

 それはさておき、ゲーテといえば、「若きウエルテルの悩み」くらいしか読んだ
ことがありませんのであえて取り上げるのもおこがましい限りですが、ウイキペ
ディアなどから感じたところをピックアップしてみました。多方面にかなり活躍
した人なんですね。

          ゲーテ肖像(70歳ころ)
          (ウイキペディアより)

 ゲーテは、1749~1832年のドイツの詩人であり、劇作家、小説家、自然科学者
(色彩論、形態学、生物学、地質学、自然哲学、汎神論)、政治家、法律家と幅
広く活躍した人なんですね。

 フランクフルトの裕福な家庭に生まれたゲーテは、幼児の頃から教育熱心に育て
られ少年時代にはすでにドイツ語はもとより英語、フランス語、イタリア語その
他を習得し読書を好んだそうです。16歳で父の勧めで故郷を離れライプチヒ大学
で法学を学びますが、病気のため3年程で故郷に戻り、その後21歳で今度はフラン
ス的な教養を身に着けるためストラスブール大学に学び多くの人たちと交流をし
後の作家、詩人としての下地を作っていったとあります。
 22歳のゲーテは、故郷に戻り弁護士の資格を取りますが、仕事よりも文学活動
に専念するようになり、処女戯曲を発表するのです。

 ゲーテは、14歳の頃には、近所の女性に、そして大学時代にもそれぞれに恋人
ができ23歳の時に、舞踏会で出会った19歳の少女シャルロッテ・ブッフと熱烈な
恋に落ちるのですが、彼女はすでに婚約中であり、何度のアタックするも奪い取
ることが出来ず自殺まで考えるようになったとあります。
 この体験をもとに、後に著したのが「若きウエルテルの悩み」だそうです。 
この小説は、“若者を中心に熱狂的な読者が集まり、主人公ウェルテル風の服装
や話し方が流行し、また作品の影響で青年の自殺者が急増するといった社会現象
を起こし、ドイツを越えてヨーロッパ中にゲーテの名を轟かせることになった。” 
とあります。 またこの頃、生涯をかけて書き継くことになる『ファウスト』に
着手したのだそうです。

         若きウエルテルの悩み
          (アマゾンHPより)

 その後も活動を続けているうち、またもや恋に落ち婚約に至るがうまく行かず、
しばらく後、小国に招かれそこで親しまれて過ごすうち、同国の閣僚になってし
まうのですが、ここでも、同国の男爵夫人と恋に落ちてしまうのです。ゲーテ26歳
だったそうです。この恋は12年も続いたそうで、二人の間に男子を設けますが、
ゲーテがイタリア旅行を2年も続けているうちに夫人との関係は断絶することとな
るのです。 イタリア旅行から戻った彼のもとに、訪れてきた23歳の娘に恋をして、
4人もの子供を設けるのです。

 なんだかゲーテの女性遍歴を綴った感じになってしまいましたが、この間も作
家活動は続けていたようですし、1808年(ゲーテ59歳)のとき、ナポレオンに歴
史的対面を果たすのです。『若きウェルテルの悩み』の愛読者であったナポレオン
はゲーテを見るなり「ここに人有り!(Voila un homme!)」と叫び感動を表した
とあります。 また、同じくドイツの詩人シラー(ゲーテより10歳若い)との交流
が密に行われ、二人はドイツ文学における古典主義時代を確立していくのです。
二人の名は「疾風怒濤運動」(シュトルム・ウント・ドランク)としてドイツ文学
のムーブメントとして知られています。
(シラーは、ベートーベンの交響曲第九の歌詞で有名ですね。)

      ゲーテとシラー ワイマール前
          (ウイキペディアより)

 ゲーテは自然科学にも多くの業績を残しているほか、音楽面でも、多くの作曲
家がゲーテの詩に曲を付けているのです。
 文末の「野ばら」(シューベルト)もそうですが、同じ詩にツエルターが作曲
したのもよく知るところですが、その他、モーツアルトやリヒャルト、ベートー
ベン、メンデルスゾーンらがいるそうです。戯曲「ファウスト」には最も多くの
曲が付けられているそうです。

 東京北区の飛鳥山公園近くに「東京ゲーテ記念館」があるそうですので機会が
あれば訪れてみたいと思いました。

 

 

「シューベルトの野ばら(ドイツ語)」作詞:J.W.ゲーテ 作曲: F.シューベルト 新井俊稀 歌のプロムナード online

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする