今日は時間調整の早帰りでした。いつもは真っ直ぐ帰るのですが、早く帰っても、早めに飲み出すだけなので、昔懐かしい場所を訪ねてみようと思いました。
引っ越しについて以前書いたことがありますが(「23年ぶりの引っ越し!」)、大学時代の4年間でも2度引っ越した東横線の祐天寺界隈を歩いてみました。
家賃2万6千円!
大学に入学して初めて住んだアパートです(たぶん)。祐天寺と中目黒の中間くらいの駒沢通り沿いにあり、当時も築50年くらいの感じでしたが、現存していてびっくりです。
正直、ここに住むのは全く気が進みませんでしたが、入学手続きで父と一緒に上京して、最初の不動産屋の最初の物件で、父が「ここにしろ」とばかりに問答無用で決められたところです。
靴は共同の玄関で脱ぎ、小さい流しとガスコンロが一つあるだけの6畳一間で、トイレ・洗濯機・電話は共同で家賃は当時2万6千円で、1階に住む大家さんに払いにいく仕組みでした。
そんな感じなので、ここには1年間住みましたが、友達も来たことなかったと思います。なので、大して思い出もありません。
当時は新築!
2年生になる時、姉が就職で学生寮から出るというので、女子の一人暮らしを心配した母から一緒に住んでくれと言われて、引っ越したのがここです。
東横線を挟んで歩いて10分くらいのところだったので、不動産屋でリヤカーを借りて、友達に手伝ってもらって引っ越しました。川が暗渠になっている蛇崩川緑道の近くでした。
今はだいぶ古びていますが、当時は新築でした。上の大黒湯という銭湯がアパートへの目印になっていましたが、このアパートには風呂もあったので、ここに住んでいた時は銭湯は行っていません。
この銭湯のそばにサークルの同期が住んでいて、渋谷でサークルの飲み会があると、ここに流れて、終電過ぎになると、こことウチに何人か泊まるなんてこともありましたが、姉と同居していたので、基本的にはあまり大勢が頻繁に来ることはありませんでした。2年生になって近所に越してきた仲の良い友達と、お互いのアパートにウイスキー持参で毎日のように蛇崩緑道を行き来していたのが懐かしい思い出です。
Googlemapにはあったのに…
そして、4年生になる時に姉が婚約して、結婚準備で一時実家に戻ることになったので、また一人暮らしのため、引っ越しました。祐天寺よりはやや学芸大学駅に近い、五本木というところです。
この時、義理の兄になる人が、軽トラを借りて引っ越しの手伝いをしてくれました。
ここもそれなりに年季は入っていましたが、6畳の部屋に1畳くらいの板間かあり、キッキンも2畳くらいはあり、当然トイレもあり、最初の部屋よりもだいぶ快適でした。
そして、一人暮らしになったため、訪ねてくる人も格段に増えて、たった一年間ですが、この部屋での生活が一番密度が濃かったように思います。
大学のゼミ仲間がよく集まって鍋パーティーをしたりしました。また、留学のためにアパートを引き払った友達が、出発まで2週間ほど居候をして、同居したのも懐かしい思い出です。
Googleマップでみたら現存していたのに、今日訪ねたら残念ながら更地になっていました。
洋食富久美!
住んでいたところはさすがに覚えていますが、その途中の景色は変わってしまっていることもあるでしょうが、驚くほど覚えていませんでした。あとは、覚えているのは自分が通ったお店ですね。貧乏学生ですから、普段は自炊をしていましてが、何軒かは行きつけのお店もありました。
もっとも通ったのが、「富久美」です。最初に行った時は、年輩のご夫婦で切り盛りしていて、正直美味しくなかったのですが(笑)、暫くしてから30代から40歳くらいの若いコックさんが入り、滅茶苦茶味が良くなり、卒業まで一番のお気に入りの店になりました。
蛇崩川緑道を行き来した友達や、留学前に居候した友達とも、よく行ったので、今でも飲んだ時に話に出てくる店です。今はテイクアウトの弁当だけの営業のようで、たまたま通りかかった時に出てきた方は、私が通った時のコックさんではありませんでした(当然のことながら、当時分かったコックさんも存命なら、お爺さんですからね)。
ナイアガラ!
鉄道好きには有名な、カレーのナイアガラです。当時は、駅前にありましたが、再開発で少し離れたところに移転して営業していました。鉄道グッズが店内外にたくさんあるほか、当時はカレーも列車にひかれて運ばれていました。
竹の子!
祐天寺の駅前にある小料理屋のようなお店です。焼き魚など、家庭的な和食を食べたい時にお世話になりました。ここは今も営業を続けているようです。
とんかつ さんき!
祐天寺駅前の商店街を駒沢通りに向かったところにあったとんかつ屋さんです。今ふと思い出した(ような気がするのです)が、入学手続きで上京した時に父とここで昼飯を食べたのがきっかけだったかもしれません。アパートを探した不動産屋もこの商店街にあったからです。
赤だしのなめこの味噌汁だったのを覚えていますが、当時でも結構年輩のご夫婦で切り盛りしていましたが、後継ぎがいたのか、結構最近まで営業していて、最近遂に閉店したようです。富久美と同じく、35歳の息子さんが継いだとしても、今は75歳前後ですから、仕方ないですね。
そんなに前の感じはしていないのですが、考えたら大学に入ったのも約40年も前で、学生時代も遠くなりにけり、です。遊ぶ街だった渋谷も、東横線は地下に入るし、駅内外ももう訳が分からない変化ですからね。
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