今、あなたは、子育てをどのように感じていますか。
幸せですか。
つらいですか。
妊娠中から子育てを考えていました。
お腹の赤ちゃんを慈しんで過ごしていましたか。
昔の女性は、妊娠中に「母」になりました。
仏教では、妊娠中を一歳と考えていました。
数え年で数えていました。
三つ子の魂は、2歳のことを言います。
2歳までの育てられ方がその子の「一生」を左右します。
子は、神の子、みんなの子でした。
隣近所の多くの人から慈しみ・愛されて育ちました。
昔の子育ては隣近所の人々が共に助け合い、よその子も我が子も同じように育てました。
子どもには「子ども社会」親には「親の社会」青年には「青年の社会」高齢者には「高齢者の社会」がありました。
祭や地域の伝統行事に様々な世代が関わり「絆」を深めました。
礼儀作法も地域がしていました。
日常の生活も、食品の貸し借り、金銭の貸し借りが信頼関係の元で行われ貧乏でも暮らして行けたのです。
子育ても集団で行っていました。
けして一人で行うことはありません。
現在は、子育ては「孤育て」になっています。
核家族化し、たくさんの愛の手に守られて育てられなくなりました。
子育て支援センターに行っても,他人や他の子と比べたり、ある意味で寂しい思いをして帰って来るだけです。
1歳の子は、他者と遊ぶより親と離れずに安心を得ることの方が重要です。
できるだけ「我が子から逃げず」共にいることです。
しかし、親自身が養育された過去がつらく苦しいものですと、子育てが楽しくありません。
同じような思いをしないように、「負の連鎖」を断ち切りましょう。
育児の責任を負うのはむしろ特異な形態だと思います。ひげ爺様は今の母親が未熟とおっしゃ
いますが、昔は10代で母親になっているのが普通でした。その未熟な母親をサポートする
社会があったのです。そうでなければ数人~10人近くも子どもを育てるなんて無理ですね。
そもそも専業主婦なんて近代からです。昔は女性も働いていました。周りの多くの人たちに
育てられた、逆に言えば母親一人からのみ愛情を受けるというものではなかったのです。
現代は実家や義実家が身近な場合を除き、孤育てになるのは避けられません。
急速に核家族化が進み、母親一人に育児の負担がのしかかった時代に提唱されたスポック
理論(現在は批判されていますが)。そして現在では核家族は加速したまま、育児法だけが
超日本的なものになり、母乳でなければならない、子ども中心主義でなければならない・・と
母親達は自分を押し殺しながら毎日育児に奮闘しているのです。
「我が子から逃げず」・・逃げることができる母親なんていません。
確かに1歳くらいの子どもだとつい比較の対象として他の子どもを見てしまうこともあるで
しょう。それは支援センターでなくても、大家族の場合でも地域で子ども社会がある場合でも
同じ。比較による弊害(?)よりも、他の親子とふれ合い、子育ての話をするだけでも、孤軍
奮闘されている母親にとっては良い点が多いと思います。子どもにとっても同じで、他の子ども
から学ぶことが多いはずです。今更共同体での育児の形態に後戻りできない以上、それを
補うための外への働きかけは必要なのではないでしょうか?もちろん早期での委託保育で
はなく、母親が一緒という点が大前提です。後追いのハイハイの時期はともかく、1歳で歩き
出せばどんどん外に向けての関心が広まり、特に男の子は外遊び十分じゃないと家の中で
はもちませんよ(笑。ウチはいったん家から出ると帰るのが乱闘でした。
もちろん子どもの個性があるので、内向的な子どもを無理やり外に連れ出さなくてもいいで
しょう。でも子どもの個性は環境によって影響します。親が家にこもりきりで他の子どもとの
触れ合いが極端に無いのでは、子どもが親にベッタリになるのは当然です。誰にでも挨拶
し、躊躇なく人の輪の中に入っていける母親の子は同じように行動します。挨拶なんて子ども
に教えなくていいのです。親が日頃口に出していると、勝手に真似しますから。