座間入谷に小桜姫伝説で知られる曹洞宗寺院「水上山龍源院」はある。渋谷高間が永享間(1429~41)に現在の富士山公園の西側の麓に建てられたという。渋谷高間の娘「小桜姫」が後妻に殺され、後妻の子「小柳姫」も同情し自殺したことを弔うため屋敷を寺とした。創建は寛永2年(1461)、山梨県上野原の清源院八世・格雲守存を請して開山、清源院の末寺となる。本尊は釈迦である。当初上野原清源院八世格雲守存を開山として寛正2年(1461)入谷丸山下に創建。その後弘治年間に現在地へ移転し天保年間(1830年)には寺子屋を開き教育の場でもあった。明治5年(1872)には座間小学校の前身「風牛学舎」があった。二世実州は夜夢枕にたった白蛇のお告げから財宝・五穀豊穣を祈念して「辨財天」を造立した。境内社に龍天善神社、稲荷社、白山社が祀られている。このような歴史と由緒をもつ当寺の「本堂」は90年前(1927)に建てられ老朽化により4年前に美麗な入り母屋づくりの立派な「本堂」が落成した。以前は本堂前の参道に梅の並木があったが本堂再築でなくなってしまった。かわりに本堂右横には枯山水庭が造られた。「山門」前には「寺号標」と「六地蔵」、広い境内には「弁財天像」が建てられている。庫裏の裏に今もこんこんと湧き出ている「龍源院湧水」がある。(2002)
座間市内を南北に座間丘陵が走っていることから湧水点が多くある。西に中津原段丘面、下に田名原段丘面、更にその西には相模川のつくる沖積低地が広がる。湧水は「崖下タイプ」か「谷頭タイプ」に別れるが、座間の湧水も中津原段丘崖線下より湧き出るもの、台地面の谷奥=谷頭より湧き出るものに大別される。市内には相模川湧水、「番神水湧水」、「鈴鹿の泉湧水」、「龍源院湧水」、「心岩寺湧水」、神井戸湧水、根下南湧水、大下湧水、いっぺい窪湧水、芹沢川護岸から湧き出す湧水、第三水源湧水、第三水源脇の湧水、目久尻川護岸から湧き出す湧水、入りの谷戸上湧水、谷戸山公園内の湧水と15ヶ所も点在する。その中の一つ「番神水公園」は入谷「円教寺」先の段丘下にある祠「番神堂」の裏手から湧き出している。今も夏季には660t、冬季には27tの水がこんこんと湧き出している。湧水池には赤白の鯉が数匹優雅に泳いでいた。もう一つ龍源院の北側の段丘下から湧き出す「鈴鹿の泉湧水」である。昔から周辺6世帯の大切な生活用水、非常用の防火用水として 昭和31年に水道が引かれるまで利用されてきた貴重な湧水である。 大正初期頃から終戦頃までの約30年間、近隣関係者が湧き出し口下の土地45坪程を龍源院から借りて開墾し「わ さびの栽培」、あるいは酒造所の杜氏が木桶で汲み作業をしていたという。(2002)