小田急江ノ島線「大和駅」より徒歩15分ほどのところに「ふれあいの森」公園ある。その一画に一見「竜宮城の門」のような造りで、鉄筋コンクリート製の6角形で、高さは「基壇部」を含めると約10m、東屋のような「台湾亭」がある。6本の柱や梁部は朱色、屋根瓦は濃緑色、天井部は黄色に塗られている。鮮やかな建物である。第二次世界大戦中に将来の航空技師を夢見て「台湾少年工」8,400名が高座海軍工廠で戦闘機「雷電」の製作に従事していた。その当時の工廠は現在の座間市栗原にあり、寄宿舎が大和市上草柳にあった。敗戦により夢破れ帰国した少年工はその高い技術と精神力により台湾工業化の中核として活躍、1993年に彼らが「第二の故郷」と呼ぶ大和市を50年ぶりに訪日時、台湾少年工の同窓組織「台湾高座会」から日台の友好親善と世界平和を祈念し1997年大和市へ寄贈された建物が現在「ふれあいの森」に残っている。(2004)
相鉄線「相模大塚駅」そば大和市桜森に上草柳に鎮座する熊野神社の末社、正一位の「 桜森稲荷神社」はある。正一位は神階の最高位に位し従一位の上になる。弘化2年(1845)熊野神社において熊野三社大権現を勧遷し、五穀豊穣祭りを行った際、熊野神社の厄除け鬼門除けとして稲荷が祀られ建立された。祭神は学問の神様である菅原道真公と宇迦之御魂神(倉稲魂命)、三峯山神社大神を祀る。社名の由来は境内や参道に桜の古木、桜並木あったことに因んでいる。源頼朝が鷹狩に来た際、その桜の木に馬を繋いだとの伝説から「桜森」と名付いた。「鳥居」、社号標を抜けると正面に昭和56年(1981)に再建された「社殿」、左に「手水舎」、「神輿庫」がある。稲荷神社らしく境内各所に数体のお狐様が置かれている。(2004)