「相模大堰」は河口から12km上流にあり約2.7km上流に「相模大橋」、約1.7km下流に「戸沢橋」がある。この堰の左岸は海老名市社家地先、右岸は厚木市岡田地先に位置している。神奈川県内広域水道企業団の相模川水系建設事業の一つとして、平成7年(1995)に着工、平成10年(1998)に完成した「相模川の取水堰」である。この大堰は県内有数の規模を誇る取水堰で、日量最大約62万㎥の水を相模川から取水している。この堰から海老名市側に引き込んだ水は海老名市社家の沈砂池で土砂などを取り除き、綾瀬浄水場と伊勢原浄水場に送られ横浜市や川崎市、横須賀市、相模原市の水道水として供給されている。令和2年(2020)、併設されている「相模大堰管理橋」が一般歩行者・自転車通行に対して開放された。独特の形式をした堰で数メートル間隔で観察窓のようなものがある。両岸に魚道が設置されているのでアユを対象とした主魚道と、ヨシノボリのような底生魚や遊泳力の小さな魚類を対象とした副魚道があり、遡上魚を誘導するための呼び水水路を併設。魚道観察窓からは、溯上する魚が見られるとか。盛福寺から西に50m程で相模川左岸の遊歩道に出るとこの大堰の手前に橋長約530mの「相模川水管橋」が架かっている。 竣工:1975年(S50)。相模川左岸の海老名市社家と右岸側の厚木市岡田との間に位置し、酒匂川飯泉取水堰からの取水が伊勢原浄水場で浄水され、此の水管橋に渡された内径1350mmの上水導管を経由して、左岸側の海老名市有馬浄水場へと送水されている。橋は青色で塗装され8径間三弦トラス。(2412)
海老名市社家に旧本山は駿州富士郡北山本門寺末で興統法縁、日蓮宗寺院「本興山常在寺」は鎮座している。了性房日乗の開基。創建は正和年間(1312)、当初鎌倉小町に日蓮大聖人の法孫了性坊日乗上人が開創した寺であるが、元弘3年(1333)新田義貞、鎌倉へ侵攻。常在寺は焼失。応永4年(1397)、鎌倉松葉谷「妙法寺」の妙法房日叡(大塔宮護良親王の遺子)常在寺を再興。大永3年(1523)当地へ移転した。通称「むべ山常在寺」という。江戸時代には慶安2年(1649)に、土地9石1斗について朱印地を拝受している。本尊は十界勧請大曼茶羅。日蓮聖人坐像や子安鬼子母尊神、日蓮宗大荒行堂にて感得された大黒尊天神等が祀られている。46号線沿いには裏門となり反対側に構えられている「寺号標」(寺門)、「山門」(伝左甚五郎作の龍の彫刻が施されている)より入山するとまず目に入るのが「日蓮上人像」である。その背後に入り母屋造りの「本堂」がある。境内には480年余前に鎌倉より復興移転した際に植えたと伝えられている柏の古木がある。境内右側に鐘楼がある。社家一体寺院の中では最も大きく寺歴、寺格も高い。(2412)
海老名市中新田46号線沿いに小さな鳥居と社がある。中新田諏訪神社の摂社・末社である山王原「山王日枝社」と「稲荷社」が鎮座している。この山王原山王日枝社は宝永6年(1709)に創建、中新田村の字山王原にあったが神仏分離令により明治43年「中新田諏訪神社」に合祀された。昭和25年(1950)に氏子中の願いにより元の鎮座地に還座した。もう一つの「稲荷社」の創始は不詳だが中新田諏訪神社の摂社・末社に、山王日枝社・稲荷社と併記されている。山王日枝社の祭神は大山咋命。(2412)