相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

相模原市南台の鎮守「二宮神社」新年初詣準備万端!!

2024-12-30 14:51:22 | 神社
相模原市南区南台(小田急相模原駅前)に南台の鎮守として崇められている「二宮神社」は鎮座している。当社(由緒)は明治13年に開拓者の八家族が移住し村作りを開始。終戦後、心の拠所として神社の設立に着手し、昭和22年に完成と同時に開拓者の2世が小田原城内鎮守の「報徳二宮神社」の分霊を勧請した。御祭神は二宮尊徳翁。正月に詣でた時以来の年末詣であるが、今年もあと二日、境内には「初詣用」の幕やテントが張られており早くも数名が新年のお札を求めていた。境内には「鳥居」「社号標」が構えられ、そのそばには建てられた「二宮尊徳像」から参道が続く。手水舎で手を清め、「電信神社」取り壊し時に社殿の土台に使われていた石再利用した参道を進んだ正面に「社殿」(昭和44年11月再建)と「社務所」、その横に「神楽殿」、「櫛真智社」がある。(2412)            
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諏訪神社の別当寺であった「諏訪山東興寺」

2024-12-30 09:02:45 | 寺院
海老名中新田に鶴見総持寺を本山とし、諏訪神社とも深縁にあり別当寺でもあった曹洞宗寺院「諏訪山東興寺」は鎮座している。開山は弘治3年(1557)、中興は天正9年(1581)、開基は応永6年(1339)。本尊は釈迦牟尼である。寺伝では元は真言宗の寺院であったが室町末期に「宗珪寺」中興眞叟雲達和尚が現在の曹洞宗に改宗した。当時は寺子屋もしていたようで「筆子中」と刻まれた一基がある。その縁か明治19年(1886)河原口の海老名学校より分離独立した啓蒙小学校(中新田小学校の前身)翌年新校舎が出来る迄、当寺で授業を行った。海老名駅より46号道沿いに「山門」が構えられ、その左側に6体の仏像が建ち並ぶ。「山門」=寺号標より入山すると、手入れの行き届いた綺麗な参道の正面に「本堂」、両脇に「水子供養地蔵」、「鐘楼」、箒を持った「掃除小僧」、「洗心童子像」、その前に礼拝の対象物あるいは「経塚」と思われる「十三重石塔」が建てられている。(2412)
 
 
 
 
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東本願寺を本山とする「光室山明窓寺」

2024-12-30 07:33:32 | 寺院
海老名市社家に浄土真宗太谷派寺院「光室山明窓寺」(旭登院)は鎮座している。本山は京都の東本願寺。宗祖は「親鸞聖人」である。元和5年(1619)の火災により、草庵その他烏有に帰し一切の記録を失い開基などは不詳。天正年間(1573~1579年)の創建と伝わる。天正年間(1573-1592)から慶長年間(1596-1615)に捧珍(慶長18年1613年寂)が中興・開基。本尊は阿弥陀如来である。46号線沿い一本奥の相模川側に構えられた「山門」(寺号標)より入山すると境内正面に入り母屋造りの「本堂」と庫裡がある。当寺住職は「単に仏教儀式を行う為だけの場所ではなく、夏休みに子供達を集め、お泊まり会をしたり、子供達を中心にした書道教室なども行っている。寺名が「明る明窓寺はい窓のお寺」として境内から子供達の笑い声が聞こえ絶えない場所を目指しているとか。寺宝として親鸞の教示文一軸、親鸞筆、六字名號一幅、顯如筆、扇子一柄。手澤の念珠一連、圓光大師がある。(2412)
 
 
 
 
 


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