フランス現代哲学に大きな足跡を残したミシェル・フーコーについてのフェミニストによる文学研究者向けの入門書。
著者の立場はフーコーを祭り上げることなく、偶像破壊的・挑戦的・どこまでも懐疑的な性格のフーコーがあらゆる立場から利用しうることに注意しつつ、フーコーの矛盾や男性中心主義的側面にも光を当てつつ解説するというもの。
確かに権力を国家・市民間の垂直関係のみならずあらゆる関係の中に見いだすフーコーの権力観は、反権力闘争をやりにくくする面も、また国家権力を過大視しないことは闘争を容易にする面もあるでしょう。常に新しい思考方法を求める姿勢は、オルタナティブを志向する非主流派を勇気づける面も、常に自身をも疑い続けるべきことは運動に確固たる自信を持てなくする面もあるでしょう。著者はそういうことを述べているわけではありませんが、紹介されているフーコーの姿勢からは、私はそういうものを感じます。読み方に間違いがあるかも知れませんが。しかし、それでもあらゆることに疑問を呈し続けるという姿勢は、仕事柄かも知れませんが、私には魅力的に思えます。
いわゆるニューアカデミーブームの時期に学生・司法修習生を過ごしたこともあり、ミシェル・フーコーの名前はどこか頭に残っていて(でもまともに読んだことはなくて)手に取りましたが、現代哲学系の本は、慣れないと言葉からして取っつきにくい。言説とか言表とかもう少し平易な訳はできなのかと思います。まあ、これから関係する本を読むように勧める立場からは他の本がそういう専門用語的な訳をしている以上そうするしかないのかも知れませんが。でもfieldを「領野」と訳す必要はないと思いますけど・・・。
巻末の訳者あとがきでは、訳者が著者をフーコーの主要著作以外の文献を反映してないとか近年のフーコーをめぐる議論を反映してないとか「勉強不足」と言わんばかりの指摘をしているのはビックリ(ダメな本だと思うなら訳さなきゃいいのにとも思いましたが)。
原題:Michel Foucault
サラ・ミルズ 訳:酒井隆史
青土社(シリーズ現代思想ガイドブック)
2006年8月20日発行 (原書は2003年)
著者の立場はフーコーを祭り上げることなく、偶像破壊的・挑戦的・どこまでも懐疑的な性格のフーコーがあらゆる立場から利用しうることに注意しつつ、フーコーの矛盾や男性中心主義的側面にも光を当てつつ解説するというもの。
確かに権力を国家・市民間の垂直関係のみならずあらゆる関係の中に見いだすフーコーの権力観は、反権力闘争をやりにくくする面も、また国家権力を過大視しないことは闘争を容易にする面もあるでしょう。常に新しい思考方法を求める姿勢は、オルタナティブを志向する非主流派を勇気づける面も、常に自身をも疑い続けるべきことは運動に確固たる自信を持てなくする面もあるでしょう。著者はそういうことを述べているわけではありませんが、紹介されているフーコーの姿勢からは、私はそういうものを感じます。読み方に間違いがあるかも知れませんが。しかし、それでもあらゆることに疑問を呈し続けるという姿勢は、仕事柄かも知れませんが、私には魅力的に思えます。
いわゆるニューアカデミーブームの時期に学生・司法修習生を過ごしたこともあり、ミシェル・フーコーの名前はどこか頭に残っていて(でもまともに読んだことはなくて)手に取りましたが、現代哲学系の本は、慣れないと言葉からして取っつきにくい。言説とか言表とかもう少し平易な訳はできなのかと思います。まあ、これから関係する本を読むように勧める立場からは他の本がそういう専門用語的な訳をしている以上そうするしかないのかも知れませんが。でもfieldを「領野」と訳す必要はないと思いますけど・・・。
巻末の訳者あとがきでは、訳者が著者をフーコーの主要著作以外の文献を反映してないとか近年のフーコーをめぐる議論を反映してないとか「勉強不足」と言わんばかりの指摘をしているのはビックリ(ダメな本だと思うなら訳さなきゃいいのにとも思いましたが)。
原題:Michel Foucault
サラ・ミルズ 訳:酒井隆史
青土社(シリーズ現代思想ガイドブック)
2006年8月20日発行 (原書は2003年)